僕の思いは君の声、雪 

 

「優一見ろよ!雪じゃん!」

 亮が突然、大きな声で叫ぶ。
コタツの中で気だるげに項垂れていた彼がガバッと身体を起こす俊敏な動きに、僕は思わず笑みがこぼれた。

「ほんとだね」

「なんだよ、反応うっすいなぁ…」

余程のことがない限り亀のようにコタツから離れようとしない亮が、珍しくコタツの中から這い出て窓にへばりついた。

 亮が家に来て丸1日。
高校生だというのに連休の頭と後ろに休みをとって5日間の小旅行とは、なかなかのやり手だ。親は放任主義で、成績も良好だからあまりとやかく言わないらしいが……。

 そんな5連休のうち、もう丸1日が経っていた。短い連休の1日目に僕らが何をしていたかと聞かれたら口ごもってしまう。貪るように抱き合って、ごはんを食べて、また抱き合って…
四六時中セックスをするなんてことが、まさか本当にあるなんて夢にも思わなかった。

「すげぇ。めっちゃ降ってんじゃん。これ積もるだろ絶対」

「そうだね。天気予報でも今日は一日雪だって」

 そういえば亮は生まれも育ちも東京だと言っていた。
東京はほとんど雪が降らないというのは本当のようで、じっと窓の外を見つめる亮の後ろ姿は子どもみたいにわくわくしている。
僕も重い腰をあげて窓辺から離れようとしない亮のもとへ歩み寄り、窓を見た。つるりと磨かれた窓は気持ちよく視線を通り抜けていき、ああこの時ばかりはちゃんと窓の掃除をしておいて良かったなと思った。

 外では大きな粒の粉雪が、はらはらと宙を舞い踊っていた。
葉を完全に落として寒さからじっと耐えている樹木に、粉砂糖みたいに雪が色付けされている。降り出してそれほどまだ時間は経っていないようだけど、窓の縁や鉄格子にも粉雪がすでにふわふわと積もりだしている。

「これは、結構積もるかもね」

「まじか!」

雪が溶けるよりも、積もる方が圧倒的に早い。空を見上げれば、風でぐるぐると踊る粉雪でいっぱい。こんな時は間違いなく積もる。

「なぁ、優一。外行かね?」

「行かない」

「えっ!なんでだよ。いいじゃん」

「やだよ、寒い」

「じじくさいこと言うなよ」

 なんでこんな寒くて堪らない時に外に行かなきゃならないんだ!と心の中で叫んだ。
東京の人間は雪が降ると外に出ると、そういえばどこかで聞いたことがあるような、ないような…。

「……どうしても行きたい?」

「ああ、どうしても!」

 僕は横目で亮のことを見やる。すると期待でいっぱいといった様子で目を輝かせている亮が僕のことをじっと見つめてきた。いつも気だるくてやる気のない、ちょっと老成した雰囲気を漂わせている彼だが、自分の意見を通す時だけは、子どものようにまっすぐな様子を振舞ってくるから僕も折れるしかなくなる。

「……はぁ、もう………仕方ないなぁ……」

「よっしゃ!」

 本当に飛び跳ねたんじゃないかと思うくらい嬉しそうに、亮はガッツポーズをした。
そして早速コートを羽織って飛び出そうとするものだから、僕はすかさず彼の腕を掴んで引き留めた。

「コラッ!そんな恰好じゃダメだよ。ちゃんと前も閉めて。あと手袋もしないと」

「そんなん大丈夫だって!」

「亮みたいな雪を知らない都会人は僕の言うことを聞いておいた方がいいよ」

「………わ、わかったよ…」

 ズバリと言ってのけた僕の苛立ちをさすがに感じ取ったのか、亮はすぐにおとなしくなった。
正直ちょっと外に出るだけならそんなに防寒しなくても大丈夫だが、亮のことだ。出たらしばらく雪の中ではしゃいでいるだろう。素手で雪を触りそうだし、飛び跳ねて転んだっておかしくない、などとまるで母親みたいに色々なことを想像してしまう。僕はおとなしくなった亮のコートの前をしっかり閉めて、耳までしっかりと覆える帽子と、手袋、マフラーとひとつひとつ着せてあげた。

「なんか……母さんみたいだな」

「こんな大きな子どもを持った記憶はございませんっ。はい、できたよ」

しっかり防寒対策をした亮は、普段の華奢な身体をすっかり覆いつくして丸々と太って見える。
これだけ着こめばさすがの亮だって寒くないだろう。準備万端で玄関を開けると、ぶわっと冷たい風が吹き込んでくる。

「げぇ……さむっ…!!」

亮の口から漏れる苦虫を潰したような声に思わず吹き出しそうになる。部屋の空気の暖かさとの差もあってか、勢いよく吹き込んでくる雪風を押しのけるように僕らは外に飛び出した。

「…わぁ、すげぇ、めっちゃ雪じゃん……!」

「ふふ。めっちゃ雪だよ」

「すげぇ、ふわふわじゃん!うわ、すげぇ、あそこのバイク!なんも見えねぇ」

あたりを見ながら、すげぇとか、うわぁとか声を上げながら目を輝かせる亮は、本当に子どもみたいにキラキラしていた。

「あそこ見ろよ。木の枝に雪がめちゃくちゃついてる」

 亮が指を指す先には、まるで白い花が咲いたみたいに、寒々しかった木の枝がふんわりと白い雪衣を纏っている。
そんな姿も結局はとても冬らしいものなんだけど、冷たく剝きだされたコンクリートや鉄格子、そして葉をすっかりの落としてしまった街路樹の姿より、こっちの方が少し華やかな気がして好きだった。

 降り始めということもあり、顔にパシパシと雪が遠慮なく当たってきて冷たい。それなのに亮は口をカパーっと開けて雪を浴びているからびっくりだ。高校生ってこんなに無邪気だっただろうか?
そして案の定、アパートの手すりに積もっていた雪をガバっと掴んで、ふわっと投げて、またガバっと掴んでを繰り返している。明日になったら、もっと積もっているだろうから、きっと雪だるまとか、もしかしたらかまくらを作るとか言い出すんじゃないだろうか。
でも、たまにはいいかな。亮が楽しいんだったら。

「ほら、優一!食らえ!」

 突然、何を思ったのか掴んだ雪をぎゅっと丸めて、僕の身体めがけて投げ込んできた。
コートに見事命中した雪玉はボフッという音とともに、あっけなくふわふわな粉雪になって風と一緒に飛んでいく。

 へへ…っと、嬉しそうに笑う亮。僕は思わずそんな彼に見とれてしまう。
いつもは感情を抑えるかのように眉間に皺を浮かべていることが多いけど、時々見せてくれる色んな表情に僕はいちいち心を揺さぶられる。恥ずかしそうな顔も、一生懸命な顔も、不安げな顔も、怒った顔も、本当はすごく全力な彼の表情が大好きだ。

「ふふ。僕に雪合戦を挑むとは身の程知らずだね」

僕は近場にあった雪をおもむろに掴んで素早く丸める。それだけで察しの良い亮は一瞬にして防御態勢に入った。

「げ!ちょっと待て!本気はなし!やめろ!」

「なしはなしだよ!亮が仕掛けたんでしょ?」

 僕がわざとらしくにっこり笑うと、亮はすかさず前傾姿勢になって構えた。さすがは死の恐怖、相手の攻撃に対する察しの良さはピカイチだ。しかしそんな死の恐怖の行動パターンを何度も見てきた僕だって負けてはいない。まずはボディに一発雪玉をお見舞いした。そしてほんの僅かに腕が下がった隙に、僕はもう片方の手で素早く雪を掴んで送球。

「うわっ!!」

 見事的中。亮の顔面にぐしゃあと雪玉が当たり景気よく砕け散った。
降り始めのやわらかい雪で作った雪玉は、あっという間にふわふわになって宙に溶けて消えていく。

「両手を使うなんて……くそ……これだから田舎者は……」

「ん?何?何か言った?」

「な、なんでもねぇよ……」

 ちょっと悔しそうな表情を浮かべながら、彼は髪についた雪を払うような仕草をする。僕の雪が命中したその顔は、寒さですっかり赤くなっていて、そんな彼をとても愛おしく感じた。僕は思わず、そんな素敵な顔している彼の腕をそっと掴んだ。

「な、なんだよ……」

「雪……まだついてる」

「お前が、つけたんだろうが……」

「うん。だから取ってあげる」

 柔らかい雪はすぐにどこかへ飛んでいく。本当は雪なんてもうどこにもついていなかった。ただもっと近くで亮のことを見ていたくて、そんな嘘をついてしまう。
そっと亮の頬を両手で包んでみる。するとさっきまでの悔しそうな表情がすっと消えて、今度は驚いたような、恥ずかしそうな表情が現れた。

「……な、なに………?」

「えへへ……なんだろうね」

 亮につられてこっちまで恥ずかしくなってきてしまったけど、僕はそっと彼の唇に口づけた。その唇は今までで一番冷たくて、一番無防備だった。でもそれはすぐに溶け合って、柔らかい感触にふわふわと消えていく。

まるで雪みたいだね…と、伝えようと思ったけど、それはあまりにも恥ずかしい台詞な気がしたから、そっと胸の内に閉まっておくことにした。

 

 
 
 
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