いつからこんなにも、彼のことを思っていたのだろう。
初めは正直うざったかった。いつもヘラヘラ笑ってるし、人の話を真に受けてくれない感じが苦手だった。でも、彼はどんな時でも笑顔で俺に協力してくれて、今思えば、最初から最後までずっとそばにいてくれた。いつのまにか、ログインするたびに彼の顔を一目見たくなっていて、声を聞くと安心して前に進めるようになった気がする。何か決定的な出来事があった気はしないが、アリーナ戦、いや、もう少し後あたりだろうか。何か辛いことがあると、彼に会いたくて仕方なかった。
「シラバス……」
思わず口からこぼれ出る彼の名前。その真面目すぎる名前すら彼らしくて愛おしく思えてくる。そんな自分に、俺自身が一番戸惑っている。シラバスはあくまでただの友人だったはずなのに、あの笑顔を思い浮かべるだけで胸がどきどきと高鳴ってしまう。
「これは。まずい……よな……」
俺も彼も男同士で、実際にどんな顔をして、どんな人柄かなんてわからないのに、そのシラバスというPCに間違いなく恋をしていた。彼の方はどうだろうか。彼は初めから好意的に接してくれた気がする。それは今も変わらないが、出会った頃よりは確実に、しっかりと俺のことをみつめてくれると思う。とても信頼してくれているのが伝わってくる。だからこそ、俺のこの気持ちを伝えてしまったら取返しのつかないことになるんじゃないかと思ってしまう。彼を失いたくない。だったら、このまま、この気持ちは心の奥にそっと仕舞い、最高の友人として過ごす方が幸せなんじゃないか、と。
「ハセヲ!お待たせ!」
ごちゃごちゃと考え耽っていたらシラバスが集合場所に現れた。緑と茶色の、素朴なデザイン。背も体格もごくごく普通で、顔だって特別良いとか悪いとかいうわけでもなく……ただ、しっかりとした目鼻立ちをしているとは思う。しかしそれは、あくまでアバターフォーマットで作り上げたビジュアルでしかなく、本当の姿ではない。声はおそらくマイクを使って拾いあげているから、リアルの声なのだろう。男性にしては柔らかくて高めの、優しい声で……
「ハセヲ?どうしたの?ぼーっとして」
「ん、あ、いや、ちょっと考え事してただけだ。気にすんな」
「そなの?疲れたらいつでも言ってね」
そうやっていつも自然と俺のことを気遣う。社交辞令とかそういうものじゃなくて、自然と相手のことを考えている。そういうヤツなんだ。
なぜ彼のことをこんなにも思ってしまうのだろうか。本当のところ自分でもよく分からない。もしかすると、俺は、彼に依存しているのかもしれない。呼べば来てくれる。何か言えば聞いてくれる。辛い時は優しくしてくれて、寂しい時は一緒にいてくれる。そんな奴、いないと思ってたから…
「おーい、ハセヲ?やっぱり今日、疲れてる?」
みんな身勝手で、つまらない奴ばかりだったから、そんなやつらと関わるくらいなら独りでいい。誰にも邪魔されず、自分だけの力で生きて行ければいいと思っていた。でも、オーヴァンや志乃と出会って、つまらない奴ばかりじゃないっていうことを知った。でも彼らは俺を置いて、いつも先に行ってしまう。追いかけても追いかけても、そしてたどりついた先にあった真実も、俺自身を大きく超えてしまうような壮大なものだった。
「疲れてる」
「そっか、じゃあ、今日はクエスト辞めておこっか?」
振り返ればシラバスはそこにいた。ただそこで、笑って、俺のことを見ていてくれた。そんなやつ今まで一人もいなかった。そんな意味の分からないお人よしがこの世界にいるなんて。でも彼はみんなにそうなのかもしれない。”俺だけじゃない”。そう思ったら嫌だった。俺だけにそうして欲しいなんてわがままなことを思ってしまう。
でも俺は、この気持ちをただ静かに、ひっそりと胸にしまいながらシラバスと過ごすなんてことはできそうになかった。だからといって、いきなり告白するほどの勇気も出ない。俺だけが、このどっちつかずで落ち着かない気持ちを抱えているのなら不公平じゃないか。少しくらいシラバスを困らせてやりたい。これもまた俺のわがままなのだけど、シラバスならきっと……。
「ああ…。だから頼みがある」
2.
「え、えと……。こ、これでいいの?」
「ああ。すごい。最高だ」
「で、でも、こういうのは、その……僕より適任な人はいると思うし……その……」
「俺はこれがいい」
「そっか。ならいいんだけど……」
俺は今、暖かな日差しの当たる平原に寝ころんでいる。さらに詳細を語れば、シラバスの膝の上で寝ころんでいる。俺は疲れていることを理由に膝枕をリクエストしたのだ。もちろん、さすがのシラバスも驚きを隠せないといった感じで、僕でいいの?本当に?大丈夫?と不安げだった。俺は他に頼めるやつがいないからとしらばっくれて、こうして堂々と膝を独占することに成功した。
完全なる強行突破。
まだ俺の気持ちに気が付いていないなら、これはただの友達のじゃれあいでいさせてくれるだろう。いつか、シラバスに気持ちを打ち明けるかもしれないが、もとには戻れないかもしれない。それなら、今のうちに少しくらい甘えさせて欲しい。好きになった方が負け、みたいな話をよく耳にするがそんなことはない。むしろそれを逆手にとってシラバスを困らせてやる。俺だけがこんな気持ちなんて不公平だ。困らせて困らせて、そしてこんな風に触れ合っているうちに、シラバスの方が勘違いを起こしてくれないかと願ってみる。
柔らかい膝の感触に包まれると、俺は心臓がどきどきと高鳴って仕方なかった。それでも俺は我慢できなくて、そっとシラバスの顔を下から盗み見る。しかし、ほんのちょっと顔を見ただけなのに、シラバスとしっかり目が合ってしまった。俺は心臓が飛び出すかと思うくらいドキドキしたけど、半ばやけくそでシラバスのことを見つめて返した。じっと見つめると、シラバスは少し恥ずかしそうな顔して、そっと視線を外した。ああなんてこった!そんな表情を見せられると期待してしまうじゃないか!
「そ、そんな見ないでよ……、なんか、恥ずかしい……」
「ん?いや、お前よく見ると結構綺麗な顔してるなって思って」
「……!!? 何言ってるの…! もう……!」
「へへ、じょーだん!それにPCの顔なんてみんな大体綺麗なもんだろ?」
俺は恥ずかしがるシラバスの様子が嬉しくて、更にじっと見つめてしまう。目を反らしていたシラバスがまた俺の方をちらりと見ると、本当に困った顔をして、いよいよ俺の顔をぐしゃりと手のひらで覆ってしまった。
「もう!ハセヲ、いい加減にしてよ!」
「あ、てめっ………やめろよっ!」
「からかいにきたの?それならもう終わりにするよ!?」
「あ!それはダメ!もう少しこのまま……! 頼む!」
「…じゃあ、あんまりじっと見ないでね!」
「わかったわかった! 悪かったって!」
俺は顔を覆うシラバスの手のひらをぎゅっと掴んだ。グローブ越しなのが悔しい。その指先に触れたかった。ゆっくりと顔から離れていくシラバスの指先を感じつつ、俺はそのまま瞼を閉じた。
「ハセヲ………?」
先ほどより少しだけ近くで、シラバスの呼びかける声が聞こえる。俺はシラバスとの約束通り、瞼を閉じたまま大人しくしていた。
さらさらとフィールドに流れる風の音が気持ちを落ち着かせてくれる。全てはりぼての世界のはずなのに、感じるものひとつひとつが本物以上に、感覚をたっぷりと満たしていく。こんな素晴らしい気持ちを俺は知らなかった。俺の心臓はどくどくと恥ずかしいくらいに鳴り響いているものだから、シラバスに聞こえてしまわないかと心配になってくる。俺はそっと瞼を持ち上げてみる。もちろん、さっきみたいにじっと見つめたりなんかしない。そっと、覗き見るように。
「あ……」
目の前で、甘い声がぽろりとこぼれた。イエローブラウンの綺麗な瞳がゆらゆらときらめている。それは思っていたより近くて、俺の心臓は本当に爆発してしまいそうだった。俺はどさくさに紛れて、見下ろすシラバスの頬をそっと撫でてみる。やわらかくて滑らかな感触。PCのくせに随分とリアルな感覚にCC社の技術力を呪った。
このままキスしてしまいたい。でもそれはダメだ。俺たちは友達。とても仲の良い、特別な、友達……。
シラバスが俺の事を好きになるまで、俺は友達のふりをしよう。それまで俺の心臓が保つといいんだけど。