星の降る夜、君への思いをそっと祈る

 
 

「ほら、亮!もう少しだから頑張って!」

「そう言ってからどんだけ歩いたと思ってるんだよ…」

 真っ暗な山道。かれこれ足元のよく見えない夜道を歩いて1時間は経つだろう。深夜1時を回った頃だろうか。
なぜこんなことをしているのかというと、今夜はどうやら流星が見えるらしい。夏の流星群とかなんとか。
 東京ではそういった話を聞いてもどうせ見えやしないだろうとあまり気に留めることもなかったが、辺り一面、畑や山しかないこの地域だったら話は別だ。そして何より優一が非常に興味深々といった様子ではしゃいでいたから、重い腰をあげてこうして山道をえっちらおっちら歩いているのだった。
 家の周りにだって大したものがないのだから、俺はてっきり家から見るものだと思っていた。しかし優一は星を見るならいい場所があると、車を出し、さらにこのでこぼこの山道に招待してきたのだ。正直土地勘のある人間がいなければ本当に迷ってしまうくらいには茨の山道という感じで、こういう時、優一は山育ちなんだなと思わずにはいられない。そして何よりも歩くのが早い。意外と鍛えているのだろうか。

「亮、頑張れ~!」

「くそ、お前見かけによらず、体力あるんだな」

「見かけによらずとは失礼な!僕はれっきとしたアウトドア派なんだから!」

「アウトドアひきこもりだろ」

 俺は優一の言葉をてきとうにあしらいながら足を進める。暗闇に慣れてきた目は、物の輪郭と影を少しだけ見分けてくれるが、曖昧な夜の世界に飲み込まれてしまいそうで、俺はひたすら優一の背中を追いかけることしかできなかった。靴底から土や砂利、夏草の様々な感触がじりじりと伝わってきて、いつもいかに平らでなだらかな道を歩いていたのかよく分かった。

「ほら、亮見て!着いたよ!」

 俺は顔を上げて、優一が指をさす夜の闇を見る。すると目の前に広がる闇の半分がうっすらと明るくなっていた。その明るさは空の光だとわかり、その瞬間、その光は星々の光だと気が付いた。

「まじか………」

 疲れ切っていた身体の力を振り絞って山道を駆け上がると、俺を取り巻いていた曖昧な闇が切り裂かれ、一気に視界が開かれる。
 空一面にあふれ出すきらめく粒子のような光。それは摩天楼の光でも、人の暮らしが育む光でもない。どこか遠くの星たちが煌めく光。都会の薄もやがかった明るさとは違う。真っ暗だが明るい不思議な世界。俺はひたすら広がり続ける永遠のような空をただ呆然と見上げることしか出来なかった。俺の目がひとつの星を捉えると、段々とそのまわりにたくさんの星が浮かんで見え、それがどんどん広がり、あっという間に美しい宴のような銀世界が広がる。

「すげ……」

 真っ暗な空が驚くほど明るい。果たしてこの空に対して、”空が明るい”と形容していいのか俺には分からなかった。俺はそこでしばらく立ち尽くしていたが、ふと手のひらに何かが触れて我に返る。
温かく滑らかな心地はすぐに優一の指先だとわかった。そこには嬉しそうな顔をして俺を見つめる優一の姿があった。

「気に入った?」

「そう、だな。こんなすげぇものが見れるんだったら、1時間歩いたかいがあるってもんだ」

 俺の言葉に優しくふんわりと微笑むと、優一は優しく手を握りながら、どこかに誘うかのようにゆっくりと歩き出した。俺はそれに連れられるように彼の背中を見つながら歩を進める。すぐ先に小さな小屋、というかバス停のような建築物が見える。古びたベンチと小学校で使っていそうな木の椅子。遠慮がちに貼られた地元をアピールするポスターと黄ばんだ天体写真。おそらく一応ここも観光スポットだったのだろうか。
 しかしそんなスポットには目もくれず、優一は持ってきたレジャーシートを地面に広げ始めた。もともとゴルフ場か何かだったのか、広々とした大地には無造作な芝が植えつけられており、それは手入れが行き届いているとは言い難いが、寝転ぶには悪くない。
 おそらくここは、山の頂上にほど近い、ゴルフ場開発か観光開発の途中で投げ出され、忘れ去られていった都市計画の残骸といったところだろうか。

「ほら、亮こっちきて。流星群はあっちの方角だから寝転がった方が楽だよ」

 なるほどそういうことならと、俺はそのまま寝転ぶ優一の横に腰を下ろした。

「お前、どれがどの星かわかるのか?」

「あはは。さすがにこんなにたくさん分からないよ。でもちょっとくらいは分かるよ。ほら、あれが北斗七星と北極星。てことは、あっちの方角」

 確かに学校の授業で習った気がする。しかしいざ星空を見てもどれがどれだか全然わからない。俺は一体何を一生懸命勉強してきたのだろうか。こうして実際に星空を見上げても分からないことだらけだ。

「ふーん、優一はすごいな…」

 俺は何もかもが手に入ると言われた都会の街で毎日学校に通い、これといった不自由もなく生きてきたけれど、いったい何を理解し、何を得てきたというのだろう。何もない何もないと言われていた田舎の地で毎日優一と過ごしているが、ここにきてからの日々は驚くほど新鮮で刺激的だった。

「そんなことないよ。僕はただ、ずっとここに住んでたから」

「それでも、さ。俺は全然わかんねぇよ」

 何もかもがあると言われている東京のど真ん中で、俺は満たされない毎日を送っていた。あふれんばかりの人。ひしめき合う集団。蔓延るだけのシステム、物寂しいばかりの欲望、嘘にまみれた情報の蠢き。そんなものに囲まれながら、そんなものから逃がれるかのようにThe Worldという世界に何かを探し求め、黄昏の旅団で何か真実めいたものを探していた。だけど、俺は結局何を探し求めていたのだろうか。

「なぁ、優一」

「うん?」

 新しい世界で何もかもを失った日に、新しく出会った初めての人がシラバスだった。全てを失い、レベル1になった俺をサポートし続けてくれた。俺のきまぐれにもとことん付き合ってくれて、日常のなんということもない話をいつまでも聞いてくれた。
 それだけで十分だった。俺は、ただ自分の隣にいてくれる人が欲しかっただけなのかもしれない。

「優一は、なんで俺のこと、好きなんだ?」

 言ってすぐに、随分と突拍子のない質問を投げかけてしまったかな、と思った。しばらくの沈黙が野山を駆け抜ける。さすがの優一も突然の質問に困っているのかもしれない。そこはかとなく、涼しげな虫の音がさらさらと風に乗って流れてくる。そういえばこの場所に来てからはじめて虫の声をちゃんと聴いた気がする。夜の風は少しだけ秋めいてきているように思えた。

「え、えと……… うーん、と。なんだろう、急に言われると照れちゃうな………」

 ようやく口を開いた優一の言葉は、思った通りの反応でとても安心する。俺はただ静かに優一が話すのを待てばいい。それだけでいい。

「え、えと、たぶん、今になってみると僕、ハセヲに会った時からずっと好きだったんじゃないかなって思うんだ」

 少しだけ視線を落としながら遠慮がちに語り出す。しかし思ったより正直に答えてくれて、なんだかこっちも恥ずかしくなってくる。

「ハセヲに好きだって言われて、僕、本当に困っちゃったけど、あれから考えて、ハセヲはずっと特別だったんじゃないかなって思った。クーンさんやガスパーも大好きだよ。でもそれとはちょっと違うかもしれないって、気が付いた」

「…………そう、なのか?」

 優一の言葉を聞きながら、シラバスに出会った時のことを思い出した。それからカナードに入ってアリーナに参加して。シラバスは、ただなんとなくいつもそばにてくれた。それだけだったのに、ある時からログインするたびにいつもシラバスに会いに行っている自分自身に気が付いた。
 追いかけても掴めない、近づくと離れていく、世界はいつもそんなものばかりで、誰かがいつも当たり前に傍にいてくれるなんてことは、今まで一度もなかったから。

「でも、ハセヲと俺は違うだろ?」

「うん。だから、ゲームだからこそ、ちゃんと亮に会ってから考えたいと思ったんだ。ほら、やっぱりどんな人か分からないから……。 それで亮に会って、すごく好きだな、亮でよかったなって思った」

「俺で良かった?」

「うん。高校生だとは聞いてたけど、ネットって分からないじゃない? もし、怖い人だったら、僕もちょっと困っちゃうから。亮はすごく、”ハセヲ”って感じで安心した」

 遠慮がちに話していた優一がふわりと顔を上げて俺を見つめているのを感じる。この状況で俺は彼の顔を見るなんてことは恥ずかしくて出来そうになかった。ただ、ぼんやりと、夜空を見上げ続けた。

「でも、なんで好きなんだろうって考えると、うーん、それは亮が、僕のこと大好きだからじゃないかな」

「な、なに言ってんだおまえ………俺は、別に………」

「だって亮、すごく好き好きって顔して僕のこと見るんだもん。それは好きになっちゃうよ」

「………!! そんな顔してねぇよ……っ!」

 聞いた俺が馬鹿だった!俺は堪らなくなって思わず身体を背けて寝転んだ。確かに俺はずっとずっとシラバスが好きだったし、リアルの優一を見た時もその気持ちは全然変わらなかった。むしろどんどん好きになった。でもだからってそんな気持ちをダダ漏らせた覚えはない。ちゃんとそれなりに隠してきたつもりだ。たぶん。

「ね、ちなみに、亮はなんで僕のこと好きなの?」

「知らねぇよ!ていうか、別に、好きじゃねぇし!」

「え、好きじゃないの?」

「………っ………!! お前なぁ………」

 優一は俺の様子を見て楽しんでいるのだと分かった。いつもふわふわとした雰囲気を漂わせながら、風のように翻弄する。掴んでも掴んでも掴んだ気がしない。それでも彼は、掴もうとすれば掴み切れていない俺の手をすくい上げて、隣で優しく笑いかけてくれる。

「あ! 亮、ほらあそこ、見た? 今流れたよね!?」

「見てねぇよ!」

「えー!ちゃんと見てないと見逃しちゃうよ。ほら」

 ゆさゆさと身体を揺さぶるので、俺は仕方なく身体を仰向けになるようごろりと反転させる。すると優一が笑顔を浮かべながら俺の顔を覗き込んできた。

「えへへ……」

「はぁ、お前なぁ……こっち見てどうすんだよ。空を見ろ!空を!」

 俺は目の前にあった優一の鼻をぎゅっとつまんでやった。「ちょっと!痛いよ!」っと言いながら笑っている優一を眺めてから指を離す。鼻を赤くしながらちょっと不満げな様子の優一。

「もう………。ちなみに流星はあのへん。ちょうど真上より少し西側、左上の空だよ」

 
 
 

 
 
 

 優一は空に向けてすぅっと指をさして丁寧に示した。それと同時に、彼のやさしさが俺の心の隙間にすっと入り込んだ気がした。何もない世界の片隅は、あまりにも寂しい。そんなことを忘れさせてくれる優しい風。これは永遠に続くものなのだろうか。俺には分からない。
 俺は思わず夜空に掲げられた優一の指先に自分の指を這わせる。そしてそのままぎゅっと握りこんだ。重なり合った手から感じる温度はまぎれもなく現実で、あまりにも近くて温かい。指の隙間から覗く広大な宇宙の光はあまりにも遠くて冷たい。あれらも近づけば温かいのだろうか。

「流星群ってことは、流れ星だよな? 何か願掛けでもするといいのか?」

「あはは、そうだね、願い事、考えておかなきゃ」

 願い事。そんな非現実的なものに今までは全く興味もなかったし、自分独りではそういったことを考える気にもならなかった。でもなぜか優一と一緒なら、そんなことも、悪くないと思えてくる。

「お前、何頼むんだ?」

「亮、願い事は口にだしちゃいけないんだよ」

「そういうものなのか………」

 優一が考えていることは気になるが、とりあず彼のロマンを打ち壊すような野暮なことはやめておこう。
俺はただ、自分の胸にさらりと去来した願いをそっと抱きしめて星空を眺めた。

「……あ…………」

「……あ!」

 一筋のまばゆい光がまっすぐ伸びたかと思うと、またたく間に闇の中へ消えていく。

「え、あんなに早いのか!!?」

「あっという間だよね」

「こんな短い間に願掛けはきついな」

「四字熟語くらいしか言えないね」

 文句を言っている間にまたひとつ、明るく力強い光が空を横断する。

「わー! 始まったね!」

 新聞の折り込みに入っていた星空ガイドブックにも、確か1時間ほどのピークがあると書いてあった。おそらく今の時間帯が一番流星がよく見えるタイミングなのだろう。ピークとはいえ、数分の間に流れ星が立て続けに見えるというのには驚きだ。

「よし! 次で願掛け決めてやるっ!」

「よーし! 僕も頑張るぞ!」

 俺は再び優一の手をしっかりと握り直した。すると優一もそれに応えるように静かに優しく俺の手を握り返してくれた。

「四字熟語にまとめた?」

「ああ、ばっちり一文にしてやったぜ」

「うわー、さすが亮だなぁ。僕どうしても長くなっちゃう」

「早口で言えばいいんじゃね?」

「僕、早口苦手なんだよね」

「はは、確かに。苦手そう」

 ちょっと舌足らずな、それでいてゆっくり丁寧に話す優一の声が頭の中で何度もこだまする。

「あ!」

「きた!」

 まばゆい光が浮かんだその瞬間。星々が流れる束の間の沈黙に俺は心を突き動かされる。
 宇宙の果て、永遠の時間。美しすぎる神秘に誘われながら、俺は胸の奥に佇む孤独をゆっくりと溶かしていく。
胸の中で、俺はそっと祈りを捧げた。
 
 

—――――― 優一と、ずっと一緒にいられますように。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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