Episode 8. The Day -1st Part (R-18*) エピローグ

 
 
 
 
 
 
―———俺は青信号を信じていた。年を追うごとに遠ざかっていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき俺の手からすり抜けて行った。でもまだ大丈夫。明日はもっと早く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。そうすれば、ある晴れた朝に、きっと…
 俺たちはこれからも前へ前へ進み続ける。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも―———

 

「何を読んでいるんだ?」
 忙しなく歩き回っていたシーザーがふとジョセフに目を止める。
「グレートギャツビー」
「なんだっけそれ? アメリカ文学?」
「うん。シーザーも読む?」
 シーザーは呆れた顔をした。
「本から都会の匂いがする話は嫌いだ」
「シーザーは、ダンテの神曲とか読んじゃう人?」
「イタリア人なら誰だって読むだろ。俺は原文で楽しめるんだから特権さ」
 高飛車な顔を浮かべながら、シーザーはスーツに袖を通した。
「これから仕事? 今日は祝日だよ?」
「急遽ミーティングが入った。すぐに終わるさ。約束は忘れてない」
「えー! そいつ絶対アメリカ人じゃないだろ? 今日は独立記念日だぜ? こんな日にまで仕事を入れてるやつは、メキシコ人か韓国人だな」
「はは、残念。そいつはまさかのフランス系アメリカ人だ」
「マジ?」
「大事な話なんだ。大丈夫。今から行って3時には戻るよ。それまで準備でもして待ってろ」
 シーザーが玄関に立ったのでジョセフはソファから飛び起きて追いかけた。
「行ってらっしゃい」
「お前、毎回これやるのか?」
「うん。いいじゃん」
 ジョセフは振り返ったシーザーをぎゅっと抱きしめて、頬にキスをした。
「行ってくる」
 シーザーも頬に小さなキスをくれた。

 シーザーのいなくなった部屋は少しだけ広く感じた。あの日からジョセフはほとんど毎日シーザーの家に入り浸るようになった。生活感のなかった部屋は1週間も経たないうちにごちゃごちゃし始め、シーザーに少し怒られた。あまりにも物を増やしては散らかすものだから掃除担当を任命され、ほとんど毎日部屋の掃除をしている。その代わりに彼が毎晩夕飯を作ってくれるのでほとんど外食をすることはなくなった。
 そんな所帯染みた生活をしているうちにシーザーは少しずつ自分の話をするようになった。仕事のこと、故郷にいる家族のこと、”紫煙のジョン” だった頃のこと、そしてイーサンのこと。
 シーザーの口から語られる話は報告書を読み上げるみたいに淡々としていて、彼の感情的な部分はほとんど削ぎ落とされていた。それは彼が自分に沸き起こる感情に対して随分長いこと向き合った後だからこそ出来ることで、その孤独な時間を思うと胸が痛かった。
 その後もセックスの時に何度かシーザーに発作が起きた。でもそれは確実に少しずつ良くなってきていて、調子が良ければ何回戦かできるくらいには盛り上がる。しかしひどい時はセックスどころの騒ぎではなくなり、彼の体に刻まれた傷は簡単に癒えるようなものではないと分かった。普段のシーザーはいつも余裕のある笑みを浮かべていて、その鍛え抜かれた美しい肉体と完璧な装いで街を闊歩している。それはまさになんの問題もなければ不安もない、完璧過ぎるほどの紳士なのに、その仮面の下に誰にも言えない孤独を抱えていたのだ。
 
 ジョセフは読み終えた本を放り投げて時計を見た。シーザーが戻るまでにまだ3時間以上ある。その間にジョセフは久しぶりに自分の部屋に戻ることにした。今日はシーザーと祝日を過ごす約束をしていたので、一番良いスーツを取りに行きたかったのだ。
 シーザーの家から徒歩20分程度を歩き、ジョセフは自宅へ向かった。最近はマンション付属のジムでトレーニングをするために自宅ビルへ行くだけの状態になっていて、ほとんど部屋に入ることはなかった。せいぜい週に一度くらいしか戻ることのなくなった部屋はなんだかちょっと余所余所しい。スーツのいくつかはシーザーの部屋に置きっぱなしにしていたが、このとっておきだけは部屋のクローゼットに丁重に保管していたのだ。ついにこれもシーザーの部屋行きになった。
 ジョセフはスーツを一式持った後、ジムへ行きいつものトレーニングをして、再びシーザーの部屋へ戻った。外はもうすっかり夏としか思えないくらい燦々と太陽が照りつけていて、家の往復だけですっかり汗だくになった。
「うぇーあっちぃ…」
「遅かったじゃないか」
「あれシーザー? もう帰ったの?」
 まだ2時間ほどしか経っていなかったが、シーザーは部屋に戻っていた。彼もちょうど帰ってきたところなのか、暑そうにスーツを脱いでいる。
「思ったより早く終わった。それで、汗だくのところ悪いが、先にシャワー浴びていいか?」
「えー! 俺が先! ジムにも行ってきたんだから!」
「知るか! 俺が先だ!」
 シーザーはペロリと舌を出したかと思うと機敏な動きでバスルームに駆け込んだ。
「あ! くそ! シーザー!」
 ジョセフは手に持っていたスーツを投げ捨て、彼が鍵をかける前にバスルームに押し入った。
「なにしてんだこのスカタン!」
 シーザーは大きな声をあげているが、子どもみたいに楽しそうな笑顔を浮かべている。しばらく二人はドアを挟んでプロレスをしていたが、シーザーはあっけなくバスルームへの侵入を許した。シーザーは笑顔にじんわりと汗を浮かべ、薄紅色の痣を鮮やかなピンク色に染めている。ジョセフは思わずその花びらみたいな痣にキスをした。
「待てないから一緒に浴びていい?」
 ジョセフは言いながら蛇口をひねった。シーザーは良いとも悪いとも言わずさっさとシャツをバスタブに脱ぎ捨て、シャワーを浴び始める。こうも暑いとゆっくり湯船につかる気分にもなれず、バスタブはほとんど洗濯物入れのようになっていた。結局ここ数日は傍にあるシャワールームばかりを使っている。ジョセフはシャワーの下で無防備に背中を向けるシーザーを後ろから抱きしめた。
「……シャワーを浴びるだけだからな」
「そんな冷たいこと言わないで…」
「これから出かけるんだろうが!」
 シーザーがじろりと睨んでくる。しかしその顔は少しばかり色を帯びていて、その目も思ったほど鋭く牽制していないように思えた。ジョセフはそれならと少し粘ってみることにした。
「でもさ、今日は祝日だよ。それにまだ時間まで2時間もあるし」
 耳元に唇を寄せて甘えた声を出してみる。シーザーは甘えられると断れないタイプだとジョセフは気づいていた。抱きしめる力を少し強くして「いいじゃん、いいじゃん」と駄々をこねる。
「……全く……仕方ないな。でも挿れるのはなしだ。さすがにきつい」
「いいよ」
 ジョセフは心の中でガッツポーズをしながらシーザーのうなじにキスをした。そこはまだ少しだけしょっぱい味がした。ジョセフは後ろから肩や首筋にキスをしながら、その逞しい腹筋に指を這わせていく。それだけでシーザーはちょっと気持ち良さそうに体をくねらせた。シーザー自身にあまり自覚はないようだが、彼はしなやかで流線的な仕草をする。男らしい体が女性みたいに艶かしい動きをするとジョセフは言いようもない興奮を覚えてしまうのだった。それに今日のシーザーは調子が良いみたいだ。彼の発作が起きていないことを確かめながらジョセフは愛撫を進めた。綺麗な腹筋をしっかりと揉みほぐしながら下から胸を揉み上げると、シーザーは一際色っぽく体をくねらせる。
「お前、その触り方やめろ…っ……」
「気持ちよくない?」
「……なんか、女みてぇじゃん…」
 下から持ち上げるようにその大きな胸の肉を揉みながら、乳首をきゅっとつねるとシーザーは身じろいだ。
「…っ…だから…!」
 シーザーが腕を掴んで抵抗してくるので、ジョセフは前で頭をもたげ始めていた彼の雄をギュッと掴んでやった。
「ぁ、んっ…!」
 シーザーは思わず出かかった甘い声を一瞬にして飲みこんだ。そのままゆるゆると抜いてやるともどかしそうに腰を揺らし始める。全くもっていちいち動きが色っぽい。ジョセフはその艶かしい腰のくびれをそっと見下ろした。女性よりどっしりとした腰から、ふっくらとした丸い尻が揺れている。鍛えれば鍛えるほど硬い筋肉に仕上がる自分とは違って、シーザーは意外としなやかで柔らかい筋肉をつけている。白くてほど良く柔らかくて形の良い体。その弾力のある美味そうな肉に挟まれたらさぞかし気持ちいいだろうとジョセフは思った。
「…っ、ジョ、セフ?」
 ジョセフの不穏な雰囲気を察知したのか、シーザーはそっと振り向いた。シャワーでしっとりと濡れた髪の隙間から欲を隠したグリーンの瞳が揺れている。ジョセフは完全に勃起した自分のペニスをそっと尻の割れ目にあてがった。
「ちょ、やめろ!」
「大丈夫、挿れないよ。約束は守る」
 ジョセフはそのまま自分のペニスをシーザーの股の間に滑り込ませた。ぬるりと、先走りで濡れた雄がシーザーの柔らかい太腿を撫でる。
「んっ!」
 シーザーの股間に後ろからヌルヌルとペニスを押し付けると、シーザーは驚いたように腰を引いた。ジョセフは逃げる腰を引き寄せて後ろから抱えるように抱きしめた。
「ジョセフ、やめろ!何してる!」
「何って、見ればわかるでしょ」
 足の間にペニスが当たる感触が嫌なのかシーザーは足を開いて逃げようとする。
「もうちょっと足、締めてくれる?」
「…ほ、本当にこれでするのか?」
「嫌? 気持ちよくない?」
 戸惑うシーザーの耳の先にキスをしながら、彼のペニスを優しく愛撫する。彼のOKが出るまでジョセフは動かなかった。今日のシーザーは調子が良さそうだったが無理は禁物だ。しかし行為一つ一つにいちいち確認を取らされるシーザーは毎回羞恥に苛まれることになる。気持ち良いか、痛くないか、嫌じゃないか。確認をされるということは、自分の快楽を認めることに他ならない。シーザーはジョセフの前で自分の欲望の在処をセックスをするたび報告しなくてはならないのだ。
「…い、嫌ではない、から…続けろ」
「了解」
 シーザーは太腿でジョセフのペニスを挟んだ。きゅっと締まった柔らかい肉に包まれてジョセフの興奮はグンっと高まる。その肉の間にペニスを擦り付けると生温かい快楽がじんわりと押し寄せてきた。
「あ、これ、気持ちい…」
 ジョセフは思わずゆるゆると腰を動かし続けた。その度に何か柔らかくて生温かいものがジョセフのペニスの上にペタリと乗ってくる。その未知の感触にジョセフのペニスはどんどん上向き、シーザーの股間を下からヌルヌルと押し上げていく。
「…う、ぁ……」
 シーザーはもどかしそうな声を漏らしながら、壁に手をついた。その隙にジョセフがシーザーの腰を自分の方に引き寄せると、彼はバランスを崩し、尻を突き出すような格好になった。尻の肉をぐっと掴んで腰を揺り動かすと、まるで挿入しているかのような気持ちになる。しかし挿入しているつもりでいながら目の前に物欲しげな穴が見えるものだからジョセフはいっそう興奮した。そこはジョセフの動きに合わせてピクピクと震えている。
「えっろ…」
「どこ見てんだこのっアホ!」
 シーザーは大声で叫んでいるが顔は伏せられていた。髪の間からチラリと見える耳の先は真っ赤に染まっている。
「…く、そ。体が治ったら…っ…今に見てろよ。めちゃくちゃに抱き潰してやる!」
「楽しみにしてるね」
 悔しがるシーザーの背中に余裕たっぷりにキスを落としてから、腰を激しく振った。その動きに合わせてシーザーの足がキュッキュッと締まり、まるで繋がっているみたいだ。二人の間でシャワーの水滴がリズムよく弾ける。
「あ、やば、出る…」
 あまりの気持ち良さに、ジョセフはあっけなく射精した。それは股間を通りぬけ前の壁まで勢いよく飛び散った。ジョセフはとろけるような満足感に満たされていたが、まだ達していないシーザーを放って余韻に浸るわけにもいくまい。ジョセフは股間から自分のものを引き抜くとシーザーの肩を抱いて正面を向かせた。その顔は今に崩壊しそうな防波堤みたいに欲望を目一杯まで抱えているように見えた。シーザーはよろめいて壁にずるりと背中を預ける。ジョセフはまだ勃起の収まらないシーザーのペニスを握った。すると裏筋にベッタリと何か粘着質なものが付いていることに気がつき、それが自分の精液だとわかるのに数秒かかった。そのまま恐る恐る睾丸を撫でてやると、そこにもどろりとした感触があった。なぜかそれだけのことなのに、ジョセフはほんのりと興奮する。
「ごめん、汚しちゃった…」
「何を今更」
 ジョセフの手についた精液は排水溝へ向かってさらさらと流れていった。
「嫌じゃなかった?」
「セックスなんて、汚れてなんぼだろ。そんなことより…」
 シーザーはいつまでも指を動かさないジョセフに苛立ち、自分でペニスを抜き始めた。ジョセフは慌てて握り直し、適度な力加減で上下に抜いた。気持ち良いのか、シーザーはうっとりと目を閉じている。気だるそうな様子で壁に寄りかかりながら迫り来る快楽の波に乗るシーザーに、ジョセフはそっとキスを落とした。
「シーザーは……」
 ジョセフは迷ったが思い切って尋ねてみることにした。
「その……やっぱり、俺のこと抱きたいの?」
 その言葉にシーザーは目を開き、とろりとした目でジョセフを見つめた。
「男なら誰だって、好きなやつを抱きたいだろ」
「…そう、かもね」
「ジョセフは? そろそろ抱かれる覚悟はできたか?」
「うーん…」
 ジョセフは男に抱かれている自分をほんのり想像してみる。あまり鮮明な想像は出来なかったし、そんな姿が少し脳裏にチラついただけでゾッとした。しかし、興奮しながら自分を見下ろしているシーザーを想像すると意外と悪くない気がしてくる。
「……シーザーなら、いいかもしれないな。ちょっと恥ずかしいけど」
「よし言ったな!今に見てろよ!」
 シーザーは嬉しそうにジョセフの首に抱きついて、唇にむちゅっと子どもっぽいキスをした。そして唇を離すなり鼻先が触れるくらい近くでじっとジョセフを見つめた。ものすごく色っぽい顔をした綺麗な男がじっと自分を見つめている。その顔はこの上ないほど好きの気持ちで溢れていて、ジョセフはあまりの幸せに足元から崩れそうになった。
「オーノー……」
 ジョセフは思わず首を横に降った。どういうわけか今日のシーザーはいつもの3割り増しで上機嫌だ。祝日のせいだろうか。シーザーは狼狽するジョセフの気持ちなんてお構いなしに啄むようなキスを繰り返す。そして最後に舌を絡めるような熱いキスで、ジョセフをとろけるような幸福に堕としていった。
「…ジョセフ、そのまま抜いて……」
 キスの合間に囁かれる。その言葉に従って、ゆるゆると抜いていたペニスをちょうどいい力加減で抜いていく。シーザーは気持ちよさそうに腰を揺らしながらその甘い肌を遠慮なくジョセフに擦り付けた。
「…あ、ン、出る…」
 ぶるりと肩を震わせながらシーザーは手の中にたっぷりと欲望をこぼした。長くて緩やかな絶頂にシーザーは長い息をついた。耳元で感じる甘い吐息にジョセフはすっかり興奮してしまう。
「ちょっとシーザーさん…」
 ジョセフはむせ返るほどの色香に包まれ、素直に勃起したペニスをシーザーに押し付けた。
「それは自分でなんとかしろよ」
 しかしシーザーは颯爽とシャワーブースから出て行ってしまった。
「嘘だろ!シーザー!」
 ジョセフの叫び声はシャワーブースに虚しくこだまする。シーザーはバスローブをさらりと羽織り、ジョセフを振り返った。ほんの数秒視線が交錯し、ジョセフは淡い期待を抱く。しかしシーザーは小悪魔みたいにニッコリと笑い、バスルームから出て行ってしまった。
「そんなぁ…」
 すっかり勃ち上がってしまった雄をジョセフは泣く泣く一人で抜くことになった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「それでこのクソ暑い中、スーツでどこに行こうっていうんだ?」

 午後4時過ぎ。ジョセフはシーザーにできる限り最大限良いスーツを着てくれと頼み、二人はせっせと着替えていた。
「ドレスコードのあるレストラン? それともリンカーンセンターにオペラでも見に行くのか?」
「どれもハズレ」
 ジョセフは今日のサプライズは絶対に口にしないぞと決めていた。
「でもこんなに暑いのにスーツってさ……浮くぞ」
「目的地までちゃんと “お車” 用意させて頂きますぅ!」
 いつまでも文句を垂れるシーザーを後目に、ジョセフは仕上がった自分の全身を鏡で確認した。鏡越しにニューヨーカーとしての自分を客観的に眺めてみる。鏡に映るその姿に問題は見当たらないように思えた。問題があるとすれば―———

「準備できたか?」

 ジョセフの後ろに、思わず目を見張るほどの紳士が映り込んだ。いつもの装いですら完璧だと思っていたが、彼が本気を出すとあたり一面の空気が色を変える。いつもよりきっちりと後ろに固められた金髪を撫でながらシーザーは綺麗に口角を持ち上げた。
「どうしよ。すっげーいい男がいるんですが」
「お前もなかなかだぞ」
 シーザーは戸棚に置いてあった香水の一つを手に取り、それを軽く手首に吹きかけた。
「俺もそれつけていい?」
 ジョセフが聞くと、シーザーは「だめだ」と厳しく拒絶した。
「お前にこの香りは合わない」
「そんなぁ。でも香水あれしか持って来てない……」
 ジョセフは普段使いのブルー・ド・シャネルを指差した。
「全く」
 シーザーはため息をついた。
「ジョセフは……そうだな。これを貸してやるよ」
 シーザーは戸棚に並んだうちの一つ、黒い有機的な形をした陶器のボトルをジョセフに投げた。
「あとお前、いつも首筋につけてるだろ。それじゃだめだ。今日は手首につけな」
 ジョセフは言われるがままそれを手首につけた。ふんわりと穏やかな清涼感のある香りの奥に、アーシーなバニラのような甘さと新しさのある上品な香りだった。ジョセフはそれを気に入ったが、貰った香水には銘柄などの情報が書かれておらず、手捻りの陶器に見えたそれは、男のトルソーの形にデザインされた磨りガラスだった。ジョセフは見たことのないデザインのそれを戸棚に戻すと、シーザーがぐいっとジョセフの体を引き寄せた。
「な、何?」
 シーザーはジョセフから10インチくらいのところからじっと何かを観察してから腕を離した。
「よし。良さそうだ」
 シーザーは満足げに微笑んだ。
「それじゃ行こうか」
 二人は颯爽と部屋を後にする。エントランスへ降りると、ドアマンがタクシーの準備をして待っていた。「4時半頃にタクシーを呼んで欲しい」とは伝えていたが、まだ10分前。どんなタクシーを呼ぶかを伝えていなかったにも関わらず、そのドアマンは黒いモダンタクシーを手配していた。何を感じ取ったのかそのドアマンはジョセフの描いていたイメージを手際よく提供したのだ。ジョセフはこのビルの住民ではなかったが、どうやらあの日の一件以来、鮮明に覚えられてしまったようで、彼はいつも優しい紳士的な笑顔でジョセフに挨拶をする。
「ジョーンズ様。コッポラ様。お車の用意ができております」
「君んとこのドアマン、優秀すぎじゃない?」
「お前のとこもなかなかだったぞ。マリファナ臭い俺を絶対に部屋へあげようとしなかった」
 シーザーはタチの悪い笑顔を浮かべた。
「それで俺たちはどこに行くんだ?」
「とりあえずトライベッカまで行こう!」
 二人はタクシーに飛び乗り、祝日に浮かれるダウンタウンの喧騒を目指した。

 
 
 
 
 
 
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