「……それで、こんなしっかりスーツを着込んで、何でダイナーなんだ?」
シーザーは呆然としていた。
「だってこの前食べてみたいって言ってたじゃん」
「それはそうだが」
「あとね。もう一個行きたいところがあるんだ。ダイナーはあくまで腹ごしらえよ」
二人は大判のメニューを開いて食事のラインナップに目を通していた。朝飯から夕飯まで数々の料理やトッピングが用意されているダイナーでは、これでもかと言わんばかりにぎっしりとメニューが書かれている。
「まぁここまで来たんだから俺はパルミジャーナで決まりだな。ジョセフはどうする?」
「……うーん、どうしよっかなー。久しぶりで迷うなぁ……。ハンバーガー、フライドチキン、うーんでもミートローフも捨てがたい……」
ジョセフはじっくりと悩んだ末に一つのメニューを指差した。
「よしっ!チーズバーガーにする!」
ジョセフが顔を上げると、一人のサーバーがテーブルにやって来る。ジョセフはパルミジャーナとチーズバーガーにこと細かい指示をつけて注文した。
店内はガランとしている。祝日の午後にしけたダイナーに足を運ぶ者は少ないのだろう。暇そうなサーバーが野球中継を見ながらダラダラとカウンターを拭いている。ほんの僅かに音量を入れているテレビからは、微かな歓声と耳慣れた解説者の話し声がノイズ混じりに聞こえた。昼下がりの日差しはまだ暑く、窓にはプラスチック製のカーテンがかけられている。隙間からほんのりと差し込む光が二人のテーブルを照らした。
「ジョセフ、実はさ」
「うん?」
ぼんやりと店の雰囲気に浸っているとシーザーがポツリと話しかける。そのタイミングでサーバーが2本のハイネケンとグラスを持ってきた。ジョセフはシーザーのグラスにビールを注いで話を促した。
「実は、転職できそうなんだ」
「うっそ!まじ?やったじゃん!」
ジョセフは思わず前のめりになる。
「何だよ。もっと早く言えよ!じゃあ今日はお祝いだな!」
ジョセフが笑うとシーザーもほっとした顔を浮かべた。
「これでやっとイーサンから解放されるじゃないか!」
「まだ確定したわけじゃないけど。ビザも更新したわけじゃないし」
「いいんだよ。一つ話が進んだなら、今日はそれでいいんだ」
ジョセフはシーザーの前にビールをかざした。シーザーは少し気恥ずかしそうな様子でグラスを鳴らした。
「これもジョセフのおかげだよ」
「俺は何もしてないだろ? 転職活動をしたのはシーザーさ」
「でも、ジョセフと出会ってやっと動こうと思えたんだ。やってみると、意外と何とかなるもんなんだな」
シーザーはそっと笑った。何となく今日のシーザーはいつもより機嫌が良かったのは、これが理由のようだ。先ほどのミーティングは転職に関する相談だったらしい。これでようやくあのイーサンから一歩離れることが出来ると思うと、ジョセフはホッとした。
ジョセフはシーザーからイーサンの話を聞いた時、腹の底から怒りが沸いた。今すぐにでもぶん殴りに行きたいくらいだった。そしてシーザーがまだそんな男と縁を切ることができずにいることにも腹が立った。しかしシーザーの事情はこのニューヨークで生まれ、この街で育った自分には到底分かり得ない話で、この街に集まってくる移民たちの見えない苦しみを垣間見た気がした。ジョセフは共感できずとも、彼を理解し、苦しみから助けてあげたいと思い、転職するよう強く勧めていたのだ。
「……前にも言ったけどさ、もし大変だったら俺はいつだって結婚してもいいんだぜ?」
「それじゃダメだ」
「分かってるけど……」
「自分のことは自分で何とかしたいんだ。それにそんなことで結婚しようなんて言うもんじゃない」
シーザーの言葉に、ジョセフは不満げに口を尖らせた。
「それに、ロマンチックな理由がないとイタリア人は結婚しないからな。覚悟しとけよ」
「え!なにそれ。どゆこと!?」
「どういうことだろうな」
シーザーがこの上なく綺麗な笑顔を浮かべたかと思うと、テーブルの上に巨大なチキンカツと大胆なハンバーガーがどっさりと置かれた。
「チキンカツレツのパルミジャーナ。チーズバーガー。こちらにエクストラミート、ベーコン2つ、スイスチーズ、アメリカンチーズ、オニオン、ハバネロ、ピクルス追加、焼き加減はミディアム、注文は以上で?」
「バッチリだ!ありがとう」
「お前どんだけ乗せるんだよ」
目の前で山盛りになったハンバーガーを見るなりシーザーは呆れた顔を浮かべた。
「それで。これが、パルミジャーナ??」
シーザーは本日二度目の呆然をしている。
「確かにトマトソースにチーズ。しかしこのパスタは何だ?」
シーザーの顔が今までにないくらい引きつっている。
「……だ、大丈夫?」
ジョセフはやはり連れて来ない方が良かったかもしれないと後悔する。しかしもう手遅れだ。これのせいで嫌われたらどうしてくれよう。シーザーは無言のままそのカツレツにナイフを入れた。そしてトマトソースを絡めてひとくち口に入れる。そのまま茹ですぎたパスタにもトマトソースを絡めてまた口に入れた。
「mamma mia……」
シーザーは天井を仰いで笑った。
「シーザー?」
「……フフフ、これはひどい」
シーザーは腹を震わせながら笑い始めた。
「だが、悪くない。悪くないぞ……」
シーザーは怒ってるのか悲しんでるのか、それとも喜んでいるのか分からない顔を浮かべて料理を見つめている。そしてなにやらぶつぶつイタリア語で呟きながらパルミジャーナを頬張り始めた。
「シーザー!?」
「ジョセフ、これ、意外と美味いぞ」
「本当?」
「ああ。昔、学校の食堂で食べたような味だ」
「そ、それなら良かった」
ジョセフはひとまずほっと胸を撫で下ろした。そして自分のハンバーガーにたっぷりとケチャップとマスタードをかけて噛み付いた。何もかもがぐちゃぐちゃに混ざり合った味にジョセフは思わず笑みが溢れる。
「それ美味いか?」
ジョセフが頬張っているとシーザーが訝しげな顔で見つめた。
「美味いよ。食う?」
シーザーは少し迷った後、「それは遠慮しておくよ」と笑った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「さてさてシーザーさん」
ジョセフはタクシーの中で真っ直ぐ前を見据えた。
「いよいよここからが本番だ」
ダイナーで腹ごしらえを終えた二人は次の目的地にタクシーを走らせていた。シーザーは「いよいよだな」と、見えない話に合わせてくれた。
「今からシーザーは富豪のふりをしてね。そうだな。若き経営者、いや投資家がいいな。そんな感じでお願いします」
「何だって?」
タクシーを降りるとそこは大きな高層ビルの前だった。
「コンドミニアム?」
「正解。まだ本格的に売り出してはいないんだけど。今日シーザーはここの内見に来た投資家という設定でお願いします」
「急だな」
「大丈夫。今のシーザーなら凄い紳士に見えるよ」
「よく分からんが。紳士のふりなら得意だ」
シーザーはよそ行きの綺麗な微笑を浮かべて、曲がっていたジョセフのネクタイを直した。二人はビルのエントランスに足を踏み入れる。すると何人かの警備員が鋭い視線を向けてきた。そのうちの一人が二人の前に走り寄って来る。
「何か御用でしょうか?」
「ペントハウスの内見だ。通してもらっていいかな」
ジョセフは自分の身分証を提示する。不動産会社名、肩書き、名前、連絡先が印字されたそれを警備員はじっと見つめるが、すぐさまジョセフに突き返した。
「申し訳ないが今日はダメだ。こんな日に内見させる訳には行かない」
「しかしもうゲストが来ているんだ。大事なゲストを帰す訳にはいかない。ペントハウスだぞ? 分かるよな」
「ダメだ。これは決まりだ」
祝日にも関わらず生真面目に仕事をするその警備員は南米系の男だった。高級コンドミニアムに合わせた綺麗な制服に身を包み、絶対にここを通さないと言わんばかりの出立ちだった。ジョセフは警備員に交渉するも、彼は「決まりだから」の一点張りでなかなか譲ろうとしない。ジョセフは心の中で舌打ちした。
「すまない。私が無理を言ってお願いしたんだ」
するとシーザーが後ろから落ち着きのある澄んだ声で呼びかけた。その声は広いロビーに静かに染み渡り、その場のいる者全てを黙らせた。
「今日という日に、この眺望からマンハッタンを見てみたかったんだ。私は何よりも一番眺望を大事にしたいと思っているからね。この建物はさぞかし眺めが素晴らしいと聞いた」
シーザーは流暢な喋り口で警備員に優しく語りかける。余裕のある身のこなしと洗練された雰囲気に、その場にいる誰もがシーザーに注目した。
「しかし……」
「もしあなたが咎められるようなことがあれば、私から上司に謝らせて頂きます。それでもダメでしょうか?」
シーザーはその綺麗な顔に品の良い笑顔を浮かべて首を傾げた。
「し、しかし、今日は独立記念日だ。何かあったら…」
「大惨事。確かにそうですね。高層ビルは何かと標的になりやすい。しかし私はこのコンドミニアムを見に来ただけです。そして気に入ればここに住むつもりだ。そんな場所に危害を加えたり、台無しするようなことは絶対にしない」
警備員はじっと黙った。そしてシーザーはスペイン語で彼に何かを話しかけた。すると警備員はハッとした顔をして、スペイン語で何かを言って静かに笑った。
「あなたはこんな祝日にも関わらず立派に仕事をしている。それを咎める者は私が許さない」
シーザーがそう言うと、警備員は観念したかのようにため息をついて道を開けた。
「シーザー助かったよ」
「お前がぼやぼやしてるからだ!全く!」
二人はエレベーターに乗り込むなり、ほっと胸を撫で下ろした。
「さっきスペイン語で何を話したんだ?」
ジョセフが尋ねるとシーザーは少しの間黙った。
「彼は南米からの移民だ。職業も生まれた国も違う。でも、彼は俺と同じなんだ」
シーザーはただそれだけを呟いた。ジョセフは黙ってその言葉の意味を考えていた。二人の間をゆっくりとエレベーターが数字を刻んでいく。20、30と大きく数字を飛ばしながら二人を乗せた空間は上昇し続けた。
「……いつか言ってみたいなものだな。”私が許さない” なんて台詞」
ジョセフがそう言うと、シーザーは鼻で笑った。
「自分に自信と権力と金がないと言えないセリフだ。まぁ残念ながらイーサンの受け売りだけどな」
「そっか」
「それで、こんな高層ビルでジョセフは俺に、何を見せようとしてるのかな?」
「それは…」
エレベーターはついに50階を過ぎ、65の数字を刻んで扉を開けた。
「おお、これはすげぇな……」
シーザーが感嘆の声を上げる。エレベーターが開くとあたり一面にダイナミックな摩天楼が目に飛び込んできた。エレベーターを降りるとそこは広大なリビングルームで、巨大なガラス窓が額のない絵画みたいに永遠に続きそうな美しい大空を描いていた。
「最近売りに出したんだ、この部屋」
「この部屋、お前が担当してるのか? 凄いじゃないか」
シーザーに褒められてジョセフは思わず自慢げな顔をした。数年間小さな物件の担当ばかりだったが、ようやく仕事を認めてもらい、大きな物件を任せて貰えるようになったのだ。
「でもいきなり職権濫用はまずいんじゃないか?」
「それは言わないで……」
ジョセフが眉を下げるとシーザーは「冗談だよ」と笑った。
そのペントハウスは地上65階に位置し、1フロア全てが一世帯分の物件という贅沢な代物だった。部屋数は全部で5つ、バスルームが3つ。東西南北全てに窓が張り巡らされ、天井は吹き抜けるほどに高い。まだ家具などは何も置かれていないので、体育館みたいにとても広々していた。二人は一つ一つの部屋をゆっくり見学して行く。ジョセフは西側に位置する部屋へシーザーを案内し、窓辺を指差した。
「海が見えるだろ」
大きな窓の向こうに夕日に染まる海が見えた。よく見ると自由の女神も見える。ハドソンリバーとイーストリーバーが合流し、川が海になろうとしているこの場所は何よりもニューヨークらしい風景だとジョセフは思っていた。
「シーザーが前に、海の見える家に住みたいって言ってたから」
その言葉にシーザーは振り返った。
「お前、まさか……」
「本当はさ、その “まさか” の通り “ここに住もう” って言えたら良かったんだけど……」
ジョセフは目を見開くシーザーを見つめた。
「流石にそれは無理そうなんだよね」
「だよな。びっくりした…」
シーザーはなぜだかほっとした顔をした。
「ちなみにここいくらだ?」
シーザーは恐る恐る尋ねた。
「900万ドル*」
「きゅ……」
シーザーは絶句した後、Mamma mia!と叫びながら頭を抱えた。
「それは一生働いても稼げそうにないな」
「でも俺、いつかこんな風に海の見える家にさ、住みたいなって思ってるんだ。だから……」
ジョセフは深呼吸をした。心臓がバクバクと音を立ててうるさい。唇がプルプルと震え始めた。ジョセフは高まる緊張を抑えながらシーザーを見つめた。
「俺と一緒に暮らさないか。海の見える家で。ここじゃなくてもいい。イタリアのどこかでも、もっと海の綺麗な外国でも。俺、頑張るから」
シーザーは驚いた顔でジョセフを見つめた。その瞳は夕日に照らされ、いつもより澄んだ明るいグリーンの色を浮かべていた。
「俺さ、不動産やってるけど家なんて全然興味なかった。でもシーザーとなら、シーザーと一緒なら、海の見える家に住みたいって思ったんだ」
「……ジョセフ」
「だめ、かな……」
ジョセフはシーザーの目を見つめるのが怖かった。今まで口にするのが怖かった未来を、願いを、シーザーの前に曝け出したからだ。誰かと一緒に未来を夢見て行きたい。それが許されるのかを試している。ジョセフは必死にシーザーの目を見つめて言葉を待った。そのほんの数秒間、夕日のオレンジはあまりにも眩しくて堪らなかった。
「……ダメどころか、俺はもう身に余る思いだよ」
シーザーは優しく微笑んだ。
「こんなこと考えたこともなかった。そんなこと言われるなんて思ってもいなかった……」
ジョセフはシーザーの言葉をじっと聞いた。
「……なんでお前、そんなにバカなんだよ」
「え!」
「バカだ。本当にどうしようもないバカ。バカバカバカ。バカのバカ……」
「ちょっ、シーザーひどい……」
シーザーは顔をぐちゃぐちゃにして笑っていた。ジョセフが慌てるとシーザーはジョセフのネクタイを引っ張り、抱き寄せ、優しくキスをした。
「……いいぜ。一緒に住もう。いつか海の見える最高の家に」
シーザーは何度も何度も長くて熱いキスをジョセフに降らせた。ジョセフの必死な告白大作戦はロマンチックなイタリア人のシーザーにも響いたようで、ジョセフは激しくも甘いキスの応酬に襲われることになった。
「せっかくだし、花火見て帰ろっか」
「花火が目的じゃなかったのか?」
シーザーは冗談を言った。しばらくの長い時間、狂ったようにキスをして抱きしめ合っていた二人は、電池が切れたみたいにぼんやりと沈みかけの夕日を眺めていた。世界はマジックアワーの綺麗なパープルピンクの光に包まれていく。
夕日が沈んで30分も経たない内に、あたり一面は暗くなった。おそらくそろそろ街中が華やいでいる頃だ。
「あ、始まった!」
ジョセフが叫ぶと、イーストリバーの麓にキラキラと丸い花火が上がり始めた。それはダイナミックに二人の前に打ち上がるかと思いきや、サッカーボールくらいのサイズで弾けてパッと消えた。
「嘘だろ?小さくね?」
「小さいね」
二人は目を見合わせて笑った。
「花火が足元に上がるなんてことあるんだな」
シーザーは愉快な顔をしていた。
65階の摩天楼はあまりにも高すぎて、いつも仰ぎ見ていた花火は足元で控え目に輝いているだけだった。
「音も全然しない」
完璧すぎる防音のせいかどこか遠くの方で微かに太鼓のような音が聞こえる。
「なんか目の前に凄いやつが上がるものだと思ってたから、拍子抜けしちゃった……」
「意外と川から距離があるんだろうな。ま、いいさ。適当に見たら帰ろうぜ。道が混む前にさ」
「うん」
地上から隔離された摩天楼は、まるで天国みたいに世界から遠かった。ビル灯りも車のヘッドライトも星みたいに小さい。物音一つしない静かな部屋で、二人は光り輝く地上の星粒を眺めた。
「あまりにも高い場所にいると、足元にあるものが見えなくなるのかもな」
シーザーはぽつりと呟いた。
「俺、シーザーの部屋好きだよ」
「そうか?」
「うん。だから俺の部屋を引き払おうかなって思うんだけど、どうかな?」
「……そうだな。それも悪くないかもな」
シーザーはぼんやりと花火を見ていた。
「そろそろ、帰る?」
「ああ」
立ち上がるシーザーの手を取ると、彼は苦笑いした。
「手を繋いで登場はまずいんじゃないか? あの警備員、腰を抜かすぞ」
「確かに」
ジョセフは名残惜しみながら手を離した。
それから二人は何食わぬ顔でコンドミニアムを後にした。地上の世界は大きな花火の音と歓声に包まれ、人混みで溢れかえっている。二人はタクシーを拾ってダウンタウンの喧騒を後にした。シーザーのアパートに戻ると、相変わらずドアマンが仕事をしていて「花火はどうでしたか?」と他愛のない話をしてくる。二人は顔を見合わせて「小さかった」と報告すると、目を丸くして驚いた顔を浮かべた。
部屋に戻ると、脱ぎ散らかしたバスローブが二つ、飲みかけのコーヒーカップが二つ、無造作に置かれていた。ジョセフはそれを拾ってランドリーに放り込み、カップをシンクまで運んだ。すると不意に、ジョセフは目頭が熱くなった。
「シーザー」
ジョセフは思わず愛しい人の名を呼ぶ。すると「何だ?」と、ベッドルームから声がする。
「シーザー」
もう一度名を呼ぶと、愛しい人はジョセフの側までやってきた。
「どうした?」
ネクタイを外しながら、シーザーはジョセフを覗き込んだ。
「泣いてるのか?」
ジョセフは涙をぽろぽろとこぼしていた。
「お前、泣き虫だよな」
シーザーは優しくジョセフの頭を撫でた。その指先の温かさにジョセフはいっそう涙を増やした。涙があまりにも止めどなく溢れてくるものだから、シーザーは笑いながら雫を一粒一粒丁寧にすくい始めた。
もう一人じゃない。
そう思うと、ジョセフは涙が止まらなかった。
「シーザー、シーザー」
ジョセフはただ愛しい人の名前を呼び続けた。シーザーがその声に答えるたびに、ジョセフは幸せに涙した。ずっと遠い昔に見た夢が、叶ったみたいに。
愛を求めてニューヨークに移り住む者はいない。誰かがそう言っていた。それでも生きていると、どこか寂しく、誰かが恋しい。
それでも、孤独な街の片隅で、誰とも違う夢を追って生きて行く。これからも前へ進み続ける。愛を支えにしながら。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながら。自分が何者で、自分自身がどこへ行くのか確かめながら。
Fin
*900万ドル*…..レートにもよるが日本円で15億円程度。ニューヨークの超高層高級コンドミニアムの相場は大体750-1100万ドル(10億円前後)。ペントハウスなどの超高級となると1億ドル(150億円)を超えることもある。購入者はパソコンメーカー・デルの創設者、テニスプレイヤーのジョコビッチ、歌手ジェニファー・ロペスなど。凡人には一生手が届きそうにない。