「……あ、今日でサマータイム終わりじゃん」
ジョセフはスマートフォンのカレンダーに予定を書き込みながら、ふと呟いた。
「もうそんな時期か」
シーザーは興味のなさそうな声で言った。彼はキッチンでピザを焼いており、ジョセフはそれが終わるのをカウンターでぼんやりと待っていた。最近家の近くに出来たピザ屋から生地を購入し、試し焼きをしているのだ。
「ピザ、どんな感じ?」
料理のことは全然分からないジョセフだったが、シーザーが作るものには興味津々だった。
「あそこのピザはなかなか美味いからな。案の定いい生地だ」
シーザーはその生地にリコッタチーズを綺麗に並べ、ローズマリーのオリーブオイルで味付けをしてからオーブンに入れた。どうやら食べる時にハチミツをかけると、とびきり美味しいらしい。想像するだけで涎がこぼれてくる。
「家でピザを焼くなんて考えたこともなかったなぁ」
「店で買うと、帰るまでに冷めちまうだろ? やっぱり出来立てが一番さ」
シーザーは楽しそうにオーブンを眺めていた。
2人は焼きたてのピザをゆっくり1時間ほどかけて食べた後、ジョセフがハマっているテレビゲームを始めた。シーザーはあまりテレビゲームをしたことがないらしく、ジョセフがプレイしているのを横で適当に眺めている。今までは一人で黙々と楽しむゲームをプレイすることが多かったジョセフだが、シーザーが隣で見るようになってからは、ストーリー重視のゲームをプレイしたり、なんなら2人で遊べるゲームを買ってみたりと路線変更している。
「ゲームって主人公が嫌なタイプだとキツいよな」
「そうだね。でも主人公って大体嫌われるような性格じゃないと思うけど…」
「誰にでも好かれる人間なんていないだろ」
シーザーは不満そうに唇を尖らせた。
「シーザーはこの人が嫌いなの?」
「……嫌いではない。まぁ主人公はいいんだが……その女。その女だ。思っていたのと違う」
「そう?」
「そいつは絶対、主人公のライバルで居続けるべきだ。それなのに最近、主人公に好意を持っている気がする」
「え!そうかな?」
「ああ。たぶんこのゲーム、コイツと主人公のラブロマンス展開になりそうだ。そうなったら俺はもうこのゲームを見ない」
「ええ!そんなこと言わないで、最後まで付き合ってよ!たぶん大丈夫だから……」
シーザーはつんとした顔のままゲームを眺めている。シーザーはどうやら映画を観るような気持ちでゲームを見ているらしい。しかもストーリーやキャラクターにそこそこ思い入れを持つようで、思った展開にならないとぶつくさと文句を言うこともある。それでも、そんな風に自分がプレイしているゲームについてああだこうだと語れることがジョセフは嬉しかった。ボス戦でもたもたすれば真剣に対策を考えてくれたり、道に行き詰まると攻略サイトを見てくれたりと協力的だ。女性と付き合っていた頃は大抵ゲームをすると怒り出すので、彼女がいる間はゲームをしないように心がけていた。だからこんな風に恋人と一緒にゲームをする日が来るなんて思ってもみなかったのだ。
二人は眠くなるまでゲームをしてからベッドに飛び込んだ。そのまま、昼間より少しだけ甘いキスをして、ちょっと盛り上がった日にはセックスをして。そんな平穏な日常がジョセフは愛おしかった。
「ねぇシーザー」
「なんだ?」
「サマータイムが終わる瞬間に起きてたことってある?」
少し汗ばんだ肌を撫でながらジョセフは問いかけた。
「いや?」
シーザーは不思議なものを見るような目でジョセフを見つめた。
「サマータイムの時は午前2時を1時間進めるから、1時間なくなっちゃうんだけど、ウィンタータイムの時は、午前2時を1時間戻すから1時間増えるんだよ」
「……つまり、今日は夜中の1時が2回あるってことか」
「そゆこと」
ジョセフがニヤリと笑うと、シーザーはあからさまな溜め息ついた。
「俺は寝るからな」
「そんなぁ……あと20分だよ」
「もうそんな時間か」
「ね。だからいいでしょ?」
「わかった。わかった」
ジョセフが必死に懇願すると、シーザーはなんとか承諾してくれた。
「お前いつもこんなことしてたのか?」
「いつもじゃないよ……たまーにだよ……」
ジョセフは眠たそうなシーザーを見つめながら、昔のことを思い出していた。
子どもの頃、グランドセントラルの時計台の針が戻るのを見た日のこと。あれは確か家族と深夜特急に乗るためにターミナルで電車を待っていた時だ。母親から貰ったリコリスの飴玉を舐めながら、黄金の時計台を囲む人々を興味深く眺めていた。午前2時になると、針がぐるりと一周回り午前1時に戻る。そしてまた同じ1時間を刻み始める。チクタク、チクタク。繰り返し文字盤を進む針を、ジョセフは不思議な気持ちで眺めていた。
今となっては大体がデジタル時計だ。スマートフォンは自然と時間を刻む。朝起きたら家の時計が1時間ズレているというハプニングもなくなった。しかしシーザーの部屋には、ひとつだけネジ巻式の丸時計が置かれている。
「シーザー起きて。もうすぐ2時だよ」
背中を向けるシーザーの身体をゆさゆさと揺らす。しかしシーザーの反応はなかった。
真っ暗な夜に一人、時間を待つのは寂しい。
とくに寒い冬なんかは最悪だ。寒くて暗くて肌がカサカサと乾燥する冬。サマータイムが終わる頃、ニューヨークの日照時間は随分と短くなる。夏が長かった分、あっという間に暗くなる街を見ると寂しくてたまらない気持ちになるのだ。だから早く寝てしまおうと思うのに、そう思えば思うほど眠れない。今まで何度も一人で季節が変わる時間を眺めていた。
チクタク、チクタク。
いつまで経っても真っ暗な夜を一人で過ごすのだ。
「シーザー、ねぇシーザー……」
思わずシーザーの身体をぎゅっと抱きしめる。子どもみたいにぽかぽかと温かくて、いい匂いがした。身体の中に肉がぎゅっと詰まっているのが分かる。女の子とは違う、もっ大きくて、分厚くて、ずっしりと重たい。
「大丈夫だ。起きてる」
シーザーは寝返りを打ってジョセフを覗き込んだ。
「どうした?」
ジョセフの顔を見るなり、シーザーはちょっと驚いた顔をして、すぐに優しい顔を浮かべた。その顔がゆっくり近づいたかと思うと、唇にお菓子のような甘いキスをくれた。まるで子どもにあげるご褒美みたいに。それはジョセフの寂しさを一瞬で溶かしてしまう。
キャンディみたいなキスが終わると、シーザーは枕元にあったスマートフォンをパッとつけた。午前1時58分。明滅する文字盤を眺めながら二人は静かにその瞬間を待った。
AM 01:59
AM 01:00
「お!本当だ!1時が1時になった」
「ね!凄いでしょ!」
「別に凄くはないだろ……」
「今日は1時間お得だね」
ジョセフは嬉しくなってシーザーの頬にキスをした。
「せっかくの1時間、何する?」
「別に何もしないさ。俺は寝るぞ」
「えー!そんなこと言わないでさ」
ジョセフが甘えるように鼻こすりつけると、シーザーは呆れたように笑った。
「ダメダメ。さっさと寝るぞ。それにこの部屋の時間を決めるのはスマホじゃあない。あの時計だ」
シーザーは部屋の片隅にある丸い置き時計を指差した。ジョセフはそれならと言わんばかりに、獲物を見つけた獣のごとく時計めがけてベッドから飛び上がった。しかしシーザーに全力で阻止され、二人はベッドの上で揉み合いになる。しばらく時計をめぐる攻防のプロレスをした後、ぐちゃぐちゃになったシーツの上で二人は笑いながら抱きしめ合った。
「そんなにむきにならなくてもいいじゃん!」
「それはこっちの台詞だスカタン!」
「まったくもう……これ、1時間戻すよ?」
「どうぞ」
シーザーはベッドに寝転んだだまま、大きな欠伸を一つこぼした。ジョセフはネジ巻式の古臭い時計の針をぐるりと回し、ほんの少しだけ進んだ時間まで針を戻す。チクタク、チクタク。時計はまた正確に時を刻み始める。
「明日は何しよっか?」
「そうだなぁ……とりあえず洗濯をして、プロテインを買い足して、あとは……」
もごもごと何かを喋りながら、眠りの世界に落ちていくシーザーを眺めながら、ジョセフは他愛のない幸せを噛みしめた。
もう何も寂しくない。
こうしてシーザーと過ごせるなら、真っ暗な夜だって平気だ。
明日もシーザーの隣で眠れることを願って、ジョセフもゆっくりと目蓋を閉じた。