【思索】推しが好きすぎる感情と向き合った話

 
 
2021年1月15日 執筆 Category: 推し、創作、独白

 
こんにちわ。瞬間です。
ぐちゃぐちゃ考えていることをせっかくだし書き残しておこうと思い書き始めた、オタクやカルチャーや推しに関する雑感コーナー「物思う話」
今回は、「推しが好きすぎるという感情ととことん向き合った話」です。
ちなみに今回は、「二次元の推し」「二次創作」の話になるので、アイドル推しの方とか非創作者の方は少しピンと来ない話になるかもしれません。とくに現実(三次元)に推しがいる場合のお話には少し当てはまらないかもしれないのでご了承ください。

そして、長いです。無駄に長文です。それに、ぐたぐだぐだぐだぐだぐだぐだと、よくまぁベラベラ話すなこいつってくらい長いし、ちょっと気持ち悪いです。若干ポエムです。それでも大丈夫ならどうぞ…
 
 
 
 

さて、何から話せばいいのでしょうか。ご存じの人はご存じの通り、とにかく今の推しは15年近く前のゲームの結構脇役のキャラです。しかも15年前当初は別に好きでもなくて、普通にいい子だな…くらいだったのですが、今更気が狂ったように好きになっちゃった。この狂い方が歴代の推しと比べものにならなくて、感情がやばい。自分はちょっとヤバいんじゃないかと本気で思うくらいです。

隙あらば四六時中考えてる。今まではそこまでじゃなかった気がするんですよね。
かわいいなー、エッチだなー、好きだなー、萌えるわーくらいの感じで二次創作を読んだり見たりして、ちょっと自分でも落書きしてむふふとするくらい。
でも今は推しのことを思うと胸が苦しい…、この行き場のない膨大な感情に押しつぶされそうで、マジで泣いた。

これはもうヤバイと思い、Google先生に相談しました。

 

 

ああ、皆さん苦しんでおりますね。よかった。みんな一緒だ。
私が特別狂っているというわけではないようですね。
マジでちょっとほっとしました笑 好きすぎて苦しい…好きすぎて死にそう、好きすぎて泣いた…って内容の色々な相談やブログを読んで、うんうん!わかるぅぅぅってなっておりました。
しかし、仲間がいると思ったところで私のこの推しへの溢れすぎて潰されてしまいそうな感情が消えるわけではない…!どうしようか、根本的な解決法が見つからない。何か自分自身を納得させこの感情すら糧にできるセオリーを見つけなければ…!マジで死ぬ!!

 

狂ったように色んなブログを読んでいた中で、
いくつかブログを拝見し、ふと、糸口が見えてきたんですね…
そのひとつ、好きすぎて辛いという感情について、ふぅむ、と思った記事がこちらです。

 
 
 
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(引用元)note 遠山エイコ 好きすぎて苦しいって、だからこういうこと。
https://note.com/cocco_00501120/n/ndf80354fd84e

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文中にこんな言葉がありました。

どうして私たちは「推し」を見てこんなに胸が痛くなるのか。
それは、終わりのない一人よがりだからだ。
どんなに「推し」の好きなところを羅列して、どんなに「推し」との妄想を繰り広げて、どんなに「推し」の映像を見て満たされても、その先は絶対にないから。

 
ああ…。素晴らしい。これです。私が押しつぶされそうになった原因。恐怖。そして苦しさ。
どんなに「推し」思っても、「推し」を思って絵を描いても、その先に何かあるわけじゃない。
終わりのない一人よがりであり、その先は絶対にない。

じゃあどうすればいい。どうすればこの思いは満たされ、解消するのか…?
「推し」が目の前に現れて話しかけて欲しいとか、一緒に過ごしたいとか?そんなの全然いらない。そうじゃない。
新作が出るとか、新しいグッズが出るとか?それは嬉しいけど感情がさらに大きくなるだけで、それによっていつか何かに行き着き、満たされるわけじゃない。

というかそもそも、人間って一生を生きて感情や経験を生き抜いた先に、何かに満たされたり真理にたどり着くわけじゃないんですよね… え、じゃあなんで生きてるの?ってよくなるんですけど、考えすぎると本気で気が狂うのでなるべく考えないようにしております笑
推しに対するこの終わりのない感情を思いすぎて、夫に「なんで人間って生きているんだろうね…」って急に聞いちゃうヤバっぷり。
そもそも生きてる意味もなければ真理にも辿り着けない人間が、この推しへの感情の行き着く先なんて一生分からないし、どうしようもないんですよね…。

想像力って無限大で終わりがないんです。だから苦しい。永遠すぎるから。その膨大で無限大な思いが広がった時、本当にどうすればいいのか分からなくなって、苦しい。私の場合さらに想像してるだけじゃ足りない。想像して現実に何かを作り上げてる時はじめて想像の世界に生きる推しに会えた気がする。そんな気持ちになるんですね。だから作る。
もちろん想像した通りに描いたり書いたりなんてできなくて、描かれたものですら想像力でめちゃくちゃ補ってるんですが、でも推しのいる世界を表現するためならなんでも頑張れそうな気がしてくる。これはまさに恋なのか、愛の力なのか何なのか…。
最高に美しい世界に佇む推しを見たい。最高の笑顔を浮かべる推しが見たい。推しが生きている世界をずっと見ていたい。それを見るまではずっと戦い続けたってかまわない、そんな気がしてくる。

想像することができる、そして推しがいるから楽しいし幸せだけど、だからこそ苦しい。
たぶん人間はまだ、この溢れる気持ちから逃れられない。でもこの狂おしさを教えてくれたということにすら、愛おしさを感じてしまう。そんな諦めのような、厭世観のようなものが沸き起こってきたら、なぜだか少し気持ちが落ち着いてきました。

 
 
 
そしてもうひとつ。
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(引用元)HatenaBlog ハルのバケモノ そのひ、そのときの、記し
推しが好きすぎて遺書を書きたいと思った話

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このブログの途中にこんな文言があったんですね

いやほんとさ、人間いつ死ぬかわからないじゃないですか。余命宣告される場合もあれば、本当に突然なにかあって命絶えることもある訳じゃないですか。その、自分が突然そうなったときに、私の人生で推しを通して得た意思やものを何も残せやんのがめちゃめちゃこわいなぁって考えるようになったんですよ。死んでも死にきれなさそう。

なので、本当に全然死ぬつもりも死にたくもないし、その時をまだ想像すら出来てはないんやけど。いつくるかわからぬもしものために推しの大切さを残しておきたいなぁ、遺書にでも書いておけばいいかなぁ、と。そう考えるようになったのです。

 
ああ。わかりみ。
そしてそれと同時に、そうか…、確かに、世の中の多くの推しを推す人って推しを思い、推しのイベントに通ったり、推しにお金を貢いだり、推しのグッズを買ったりすることがほとんどで、推しと過ごした時間や人生で推しを通して得た意思やものを何も残せないことの方が多いのか…
だからこの人は遺書という形で何かを残そうとしたのか、と。

遺書という形でしか何かを残す手段がない人もいる中で、こうやって何かを作ることが出来るってもしかすると、とても素晴らしいことなのかもしれない…
上手くはなくても絵が描ける、文章が書ける。想像上の世界をこの指先を通して現実の世界に落とし込んでいことが出来る。推しがいる世界を想像して推しの色んな感情や、言動や、成長を想像して、その色々な想像を何かしらの形にしていく。その中には意識しなくとも推しを通して得た意思が紛れ込んでいるだろうし、彼らによって新たに作り出された視点や世界がある。
実体のない推しの感情や想像に一種の輪郭を与えて、また自分の前に立ち現せるということ。何かを作ることが出来るだけでもとても素晴らしいことかもしれない… そう気づかせてくれたんですね。(もちろん、遺書も素晴らしいと思うし、グッズを買ったりイベントに行って応援することも素敵なことだと思っています。)

 

 

あと多くの相談の回答が「その気持ちはいつか落ち着くから今のうちに楽しみなさい」みたいなのが多くて。確かに、みんな狂っては消え、狂っては消えてを繰り返していきますよね。
もともとあんまり推しが増えないし、ここまで狂った推しは初めてだったから、そうか…、この気持ちさえ諸行無常なのか…ってなり、この感情がいつか消えゆくということにも少し寂しさを覚えます。でも確かに私が40歳とか50歳とか…その頃まで今の推しに狂ってることはたぶんないとは思うんです。でもだからこそ、ああ今、思う存分創作しようって気持ちになります。こんなに気が狂えることってそうそうないと思うんですよ。
もしかして私この年で初めて恋をしたのか!!?って思うくらいすごい強い気持ち。幸せだけど苦しくて永遠のような気持ち。それを教えてくれた推しに私は頭が上がらない…そんな彼らと、そんな彼らの物語を創作することがやはり何よりも嬉しくて楽しいんだなと思いました。

一冊の本とか作って50歳になった自分が推しと紡いだ物語を読み返したらたぶんすごく幸せになれるじゃないですか。私、この子たち、好きだったなって思い返す日を夢見るだけですごい未来が楽しく思えてくる。

色々思って考えて見返すとだいぶコイツ気持ち悪いこと言ってるなって思うんですが、それくらい今推しに狂っているようです笑 なんか壮大そうなこと言ってるけど、推しのエッチな妄想とか、しょーもない性癖にまみれた妄想ばっかなんですけどね笑
絵や文章も客観的に見たら趣味に毛が生えた程度のものですが、自分の想像との対話だから自分のペースで自分なりに落としどころをつけていくしかないんです。でもそれでいいかなって思います。

それにしても、色んな人の言葉を読んでいたら、なんか妙にすっきりしてきた。この押しつぶされそうな感情とどう向き合ってどう昇華していくかが見えてきた気がします。みんな推しによって人生を狂わされつつ、色んなこと学んでるんですね。

 
 

 
 
いつか終わるかもしれないことを恐れるのと同じくらい、いつまでも終わることのできない無限大の思いに押しつぶされそうになる。
でもそれだっていつか終わる。いつか静かになっていく。人は永遠にはなれないから。人間なんて大体そういうものだから、無限大に溢れてくる感情や衝動に恐れなくていい。その先に何があるかなんて今はまだ分からない。
やらなければわからない。いつまで経っても見えない。でもこの思いに、いつかまた「帰ってきたい」と思えるじゃないか。

それだけで十分じゃないか。

 
 
 
 
 
 
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