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センチメンタルな旅に出かける
心を楽にしたいから
センチメンタルな旅に出かける
想い出を新しくしたいから
——————-感傷的な旅の先はどこだっけ?
少佐の失踪からどれくらいの月日が経っただろうか。
当初は少佐の追跡に躍起になる者、喫煙量が増える者、勤怠状況が悪くなる者など、それぞれが少なからずペースを乱してはいたが、時間が経つにつれてそれも緩やかに落ち着いていった。
結果的に公安9課内で混乱が起きることはなかった。
ただ一体誰がこの公安9課をまとめるかという問題に関しては、誰もが直視したくない案件となっていった。それでも、大きな揉め事もなく自分の名が上がったのは、自分自身の客観的評価もあるのだろうが、誰もが人の上に立ちたくはないというネガティブな要素が、多少なりとあったからだろう。自然な流れとは言い難かったが、反論もないというような状況の中で就任した”隊長”という地位。そんな隊長になってからの9課は、あまり身体を張るような事件に関与することは少なくなり、重たい鉛を抱えたままぼんやりと生きているような心地だった。
「悪くはないんだがな・・・」
独りごちに呟く声が聞こえる。
声の主は、久しぶりに9課に帰還したサイトーだ。
サイトーはといえば、隙あらば逃げるように戦場へ遠征し、持て余したエネルギーを昇華させているような日々を送っていた。
緊張感のない日々に耐えられない一種の病気のようなものを抱えた彼にとって、少佐のいる9課は良質な緊張感があり、その心地良さはまるで故郷のようなものだと話していたのを思い出す。だからきっと、彼は戦場に新しい故郷でも探しに行っているのかもしれない。
一ヶ月ほど、西アジア近郊の戦線へ口実を作って出かけていたが、戦況が落ち着いたので久しぶりに9課に戻ってきたのだった。
「何か言った?サイトー」
「いや・・・何でもない」
「それより、サイトー、その格好・・・」
今日のサイトーには護衛兼内偵という、彼にとっては気の進まないであろう任務が待っていた。
そのため、彼は与えられたスーツに袖を通していたのだが・・・
「サイトー、今日はちゃんと着替えてよ」
「言われたとおり、着替えてるじゃないか」
「そうじゃなくて」
言いかけるなり、そそくさと着替え終えようとするサイトーの肩を掴み身体を反転させる。そして、頭の先から足の先まで見るなり、俺は大げさな溜息をひとつ零し、あからさまに呆れた表情を作った。以前からそうなのだが、彼はあまりきっちりと服を着ることを好まない。そのせいもあってか、服を着替えるときの汚さはなかなか芸術的だ。腕を通したらそのまま裾をズボンにいれ、ネクタイをしようとする。どう考えても順序がおかしいというかなんというか。
「俺の子どもだってもう少しきれいに服を着れるぞ」
「それは、お前の子どもだからだ」
全く意に介する様子を見せないサイトーを後目に、俺は彼の無造作な手を払い除け、はだけていたシャツの胸元を引っ張り、あっけらかんとした様子の第二ボタンをあるべき場所にとめてやった。
「今日は、大事な内偵なんだから、しっかりした格好じゃないと」
「だったら俺じゃやなくて、別なやつ連れて行けばいいだろう」
ぶつぶつと文句を垂れるサイトーの言葉を無視し、俺は引き続き袖口のボタンや襟口のボタンまでひとつひとつきっちりと留めてやる。
「苦しい」
「ほら、そのベストも着て」
「これは、好きじゃない」
「ダメ」
しぶしぶ差し出されたベストを着る様子は反抗期の子どものようで。
それでもきっちりとスーツを着こなす姿は、刑事か記者かちょっと堅気の職業の匂いがしなくもないが、かなり威厳のある、男らしい風貌に仕上がってきていた。
「ネクタイ貸して」
「それくらい自分でやる」
「ダメ、下手くそだもん」
「お前な・・・」
さらりと言ってのけ、サイトーからネクタイを奪う。以前だったら自分も時代錯誤のネクタイなんてものを首に巻きつけることを好まなかった。ただどんなに時代が進もうとも、それを良しとする人間やコミュニティが存在する限り、そういうった形式は一定の価値を担保する。ただの形式、されど形式。それにいちいち声を上げずとも軽やかにこなすのもひとつの技であり、嗜みだ。
「サイトー、意外とこういうの似合うと思うんだけどな」
「似合ったとしても、俺が好きになれん」
「そっか。俺は結構好きかも」
サイトーが少し困ったように眉をひそめるので、俺ははふふっと笑い、目を細めた。
「これで良し!」
ネクタイをきゅっと締め、できあがったサイトーの全身をくまなく眺めると俺ははようやく満足した。
「だいぶいい男になったよ」
「もともと悪くないからな」
にやりと笑うサイトーは、そのスーツ姿と相まってなかなか色っぽく見えた。
無機質なロッカールームに坊主頭のスーツ男というのは、なかなかミスマッチに感じられたが、それは仕方ないことだった。以前は戦闘服に着替えるための空間が、スーツや礼服など、営業マン顔負けなくらいに黒い服ばかりを並べている空間に変わったというのが、その違和感の根本的な原因だろう。砂と火薬と汗の匂いが立ち込めていたあの頃とは随分と様子が変わったものだ。
「そういえば、向こうの戦域はどうだった?新しい拠点でも見つかった?」
「拠点?」
「昔、少佐のいる9課は故郷みたいなものだって話していたじゃない?」
電脳の片隅にぼんやりと残る記憶にアクセスしながら、ロッカーの片隅にあるオードトワレを手に取る。別段意味もなく共用の香水が10本近く鎮座していた。隊員たちが置いていったものや貰い物などが溜まりにたまって、香水棚のような体裁になっていた。俺は、そのうちの割と綺麗な青い色をした小瓶をのひとつを選び、耳元に軽くあしらった。火薬混じりの汗の匂いが、今では随分とインテリな香りになったものだ。香りを身に纏うと、この変化に対する罪悪感のようなものが多少なりと芽生えてきた。
「お前の電脳はどうでもいいことをしっかり覚えてるんだな」
黒のスーツに身を包んだサイトーは、優雅に黒い手袋をつけながら少し呆れたような顔をした。
今日は銃器や刃物を現場に持ち込むことはできないため、不必要な銃や弾丸などの備品を慣れた手つきで荷物から除けていく。彼が必要と判断した武器はバッグに入れて運搬する。後援担当がそれらを指定の場所に用意しておき、必要に応じてサイトーはそれをピックアップして使用するのだ。だが基本的に、彼自身は丸腰で臨まなくてはならない。今日はその身ひとつ。自分自身を守るため、そして俺の身を守るために、彼は全身を武器に変えていく。
俺は、そんな全身兵器となるサイトーの前に先程とは違った香水の瓶を差し出す。彼はあまり気に留めることなく、手首にそれを一滴垂らすと、それを静かに俺の手の中に戻した。
「大体どこかで放浪している奴ってのは、家に帰ってくるものさ」
そっと触れた指先から、清涼感と華やかさのあるウードの香りが浮かび上がる。
どこか異国情緒を思わせるその香りは、今のサイトーにぴったりの香りだと思った。
「そうなの?」
「帰れる家があるうちはな」
彼が言っている言葉の真意を、どれくらい理解できているのか俺には分からなかった。
少佐のいない9課が、彼にとって帰るべき場所になるのかどうか分からなかったが、俺はまだそれを直接彼に問いかけられるほど、今の9課の在り方に自信を持ててはいなかった。
「ホームシックにでもなるのか?」
俺はあえて冗談じみた声色で、サイトーの話を茶化した。
「まぁそんなところだ。お前もそろそろホームシックなんじゃないか?」
「俺が?それは、サイトーの方だろ?」
ホームシックになるどころか、毎日9課に通い詰めで走り回っている俺は、そのうち逃げ出したくなるかもしれないっていうのに、サイトーは不敵な笑みを浮かべて俺を見つめるのだった。
「さて、隊長、そろそろ時間だ。」
準備が整ったサイトーはゆったりと立ち上がり、バッグを肩に流して俺の肩をぽんと優しく叩いた。
すれ違いざまに感じた寛容な気配は、感傷旅行を終えた者だから漂わせることが出来るのか、今の俺には分からなかった。ただ彼の存在が、俺の不安定に凍てついたゴーストを優しく溶かしていく心地を、俺は確かに感じ、少しだけ安堵するのだった。
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センチメンタルな旅に出かける
心を楽にしたいから
センチメンタルな旅に出かける
想い出を新しくしたいから
こんなにホームシックになるとは思わなかった
どうして放浪なんか始めたんだろう
このセンチメンタルな旅に乗っかって
家に帰ろう
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過去の9課に執着すること自体がホームシックだってことにトグサさんは気が付いていない。サイトーさんは今の9課があるから放浪できるんだよってことに、トグサ氏がいつか気が付くことを願って。
原曲
“A Sentimental Journey”
Gonna take a Sentimental Journey,
Gonna set my heart at ease.
Gonna make a Sentimental Journey,
to renew old memories.
Never thought my heart could be so yearny.
Why did I decide to roam?
Gotta take that Sentimental Journey,
Sentimental Journey home.
Sentimental Journey.