Saturday Morning

 
 
 天井に浮かぶ古びた電灯と、窓から忍び込む街路樹の影。それらが部屋の片隅で描き出す小さな光の斑点模様。
これらはいつも自分の部屋で織りなされる、朝の風景のワンカットだ。
 どうやら僕は目が覚めてしまったようだ。何か夢を見ていた気もするけれど、すごく朦朧とした心地にさいなまれ、脳が生み出す幻と、この見慣れた朝の風景が生み出す現実が入れ替わってくると、その夢幻しい記憶も遠のいてしまった。

 窓の向こうはすでに少し明るくなってきているようだった。
まだ少し眠い気はしたが、もう一度眠れるかはわからない。頭に靄がかかったような、あまりすっきりしない心地を抱えたまま寝返りを打つと、そこにはひっそりと横たわる小さな背中があった。
 ああ、そうだ、昨日から亮が家に来ているんだった。見慣れた部屋の景色も、彼が来るだけで特別なものへと変わるから、僕は彼がいる自分の部屋を一塩に愛おしく思う。

 掛け布団の隙間から覗く白くて滑らかな素肌。衣服をつけていない背中は、いつも以上に小さくて細くてとても頼りなさげに見える。
昨夜は久しぶりということもあって、ずいぶんと激しく抱き合った気がする。僕はこんなにも小さな背中にしがみついていたんだと思うと、少し申し訳ない気持ちになってきた。
 僕はなんとなくもっと亮の身体を見たくなって、薄い掛け布団をそっと彼の身体から持ち上げてみる。すると、布団の下から背中からおしりにかけてのしなやかなボディラインがふんわりと現れ、僕の心をざわつかせる。まるで女の子みたいに、やわらかそうな細い身体。小さくて張りのあるおしりなんかは素直にかわいらしいと思った。
 普段は亮のリクエストもあって、僕がいわゆる抱かれる側という形になっているけれど、こんな可愛らしい姿を見てしまうと、一度は彼を抱いてみたい、その身体を隅々まで愛撫して彼が恥ずかしそうに僕に縋りつく様子を見てみたい、などと思ってしまう。眠っているのをいいことに、思わずうっとりと彼の裸を眺めている自分。これではまるでスケベおやじみたいじゃないかと思い、凄く恥ずかしい気持ちになってきた。とりあえずそんな邪な想像は一度かなぐり捨て、布団をそっと彼の身体にかけなおした。

 まだ亮は眠っているのだろうか。今思うと、いつも亮の方が早く起きていた気がする。亮が眠っているところを見た記憶がない。せっかく彼の寝顔を見れるチャンスなのに、背を向けてしまっているのがなんだか残念に思えてきた。僕はいたずらな気持ちを抱えたまま、彼の滑らかな背中にそっと指を這わせてみる。思った通りの柔らかくてすべすべした肌の心地がとても気持ち良い。僕はその心地がたまらなくて、遠慮なく後ろからぎゅっと身体を抱きしめてしまった。
ぴったりと身体をくっつけると、とても温かくてやわらかな感触を実感する。腕の中にすっぽりと収まってしまう彼の身体を包み込むようにひしと抱きしめる。

「…ぅ、ん……?……」

 腕の中から微かなうめき声がする。
やはりまだ眠っていたみたいだ。身体を反射的に少し身じろがせている。

「亮。」

「……ん…?…なんじ…?」

 腕の中でもぞもぞと動く亮を感じながら、少しだけ身じろいだ彼の頭を覗き込んでみる。すると、まだ眠気に勝てずに虚ろな目をした、とても眠たそうな表情を浮かべている亮がいた。少し目を開けたかと思うと、またすぅ…と目を閉じて眠りの世界に誘われてしまいそうな、曖昧な境界を彷徨っている。その表情はいつもの緊張感のある青年の顔とはほど遠く、あどけない少年のように無防備だった。

「亮、かわいい…」

「……ん、……な、に……?」

 思わず呟くと、またすぅと目蓋が持ち上がる。眠りの世界に戻りたがっているようにも見える彼が、僕の声に反応して、それに応えようとしている様子がなんだかとても愛おしくて、僕は思わずその頬にキスをする。

「……ん、…ぇ……?…」

「おはようのキスだよ亮。それともまだ寝たい?」

 まだ寝るならおやすみのキスね、と冗談を言ってごまかす。その言葉が彼の脳に届き、それを解釈した頃には、彼はこの現実の心地に少し身体を馴染ませてきているはずだ。

「ん、……ん? 優一…? おはよう…?」

「おはよ、亮。」

「うん。」

 まだ少し眠たそうな様子で、彼は身体をこちら側に向ける。ぱちぱちと目を瞬きさせながら僕のほうを覗き見る彼は、とてもまっさらな、純粋な少年という感じだった。素肌から伝わる彼の温度を感じながら、この純粋すぎるひと時に対して何とも形容しがたい、優しくて歯がゆい心地に包まれる。

「早いんだけど、起こしちゃった。まだ眠い?」

「…うーん、大丈夫。よく寝た、気がする。今日も明日も休みだし。全然いいよ。」

 まだ今日は土曜日の朝だ。学生同士、土曜の朝ほど最高な朝は他にないだろう。そして、そんな朝に恋人がいるなんて、こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。亮をじっと見つめていると、その視線に気が付いた彼が、その真意を確認するかのようにじっと視線を絡めてくる。しかし、しばし時間が過ぎると、彼はどうも恥ずかしいといった様子で視線を外して、更には隠れてしまおうとするから、本当に全く可愛らしい。こんな可愛らしい彼と抱き合うことになった、数週間前のあの晩。初めて肌をさらけ出し合ったあの晩。あの時に彼がはっきりと言った言葉を思い出す。

(俺は、お前を抱きたい…)

 あの一言がなければ、間違いなく僕は亮を組み敷いて、抱いて、何度も貪っていたかもしれない。それくらいに彼は凄く魅力的だ。彼はまだ高校生で、身体は人一倍まだ未成熟で、声も、心も、装いも、とても幼くて、うかつに触れてはいけない気持ちになる。そんな彼に必死に求められれば求められるほど、全てをはぎ取って抱きしめて、いっぱいに満たしてあげたくなる。
 だからこそ、彼が抱きたいと発したその言葉を、僕はしっかりと受け止めてあげたいと思った。彼の不器用で、不慣れで、戸惑いに振り回された愛撫は、彼らしくて、だからこそとても愛おしくて…
僕は、彼が示すもの全てを受け止めたいと思ったし、彼が僕の言葉や行為を求めるなら、精いっぱい届けてあげたいと思ってやまなかった。昨夜の不器用で熱い情事を脳裏に浮かべながら、僕の胸に顔を埋めている恋人の髪を優しく撫でる。

「じゃあそんなところに隠れてないで、起きて起きて!」

茶化すように告げながら少しだけ身体を離すと、バツの悪そうな様子の亮がゆっくり顔を上げた。

「優一、今日早起きだな」

「そうかもね。珍しく目が覚めちゃって」

「いつもはすやすや子どもみたいに寝てるくせにさ……」

 ふふんと勝ち誇ったような表情を浮かべながら話す彼は、いたずら好きの子どものようだ。
照れたり、怒ったり、調子に乗ったり、ころころ表情を変える彼は見ていて飽きない。

「そうなの? 眠そうな亮も子どもみたいな顔してて凄い可愛かった」

冗談半分にそう言葉を紡いでみると、なんだか不服そうな様子の亮が僕の顔を睨みつけてきた。

「俺は別に、可愛くなんてない」

 急にムッとした顔で反論してする亮。なんとなく彼は自分を少し背伸びさせたがるところがあるし、なぜか僕に子こども扱いされるのをとても嫌がるところがある。そんなことでムキになるのも可愛いなぁと思ってしまうんだけれど、せっかくの心地よい朝に彼がむくれしまっては台無しなので、何かいい話題はないかと思いを巡らせる。

「でも、まぁ寝てる時なんて、何歳になっても皆同じだよ。それに…」

 ぴったりと肩を並べ添わせながら、次の言葉を探す。
心地よい滑らかな素肌を感じていると、そういえば、と、以前亮の身体を観察していた時に気が付いたことを思い出す。

「そう、亮は、今はまだ背は少し小さいけど、きっと大きくなるよ。だってほら……」

そう言いながら僕は自分の手のひらを亮の前にかざす。

「亮の手、僕の手より少し大きいでしょ?」

「ん、そうか?」

 亮はそれに呼応するように、自分の手を宙にかざした。並んだふたつの手のひらを眺めても、あまり大きさの違いを感じとれなかったので、僕は彼の手のひらにぴったりと自分の手を這わせてみる。手のひらの付け根からゆっくりと手を合わせていくと、指先がついた時、少しだけ亮の指が余った。

「ほら」

「ほんとだ」

「あと、足も亮の方が大きいよ」

「そうなのか?」

 僕は布団を足で跳ね除けて、宙に足先をひらひらとさせてみる。すると亮もちょっと楽しそうに真似して足を宙にかざしてきた。宙で並べてみると、今回は目視できるくらいに大きさがひとまわりくらい違うことが分かった。

「ほんとだ。優一、足いくつ?」

「僕、小さいんだよね。26」

「え、ほんとかよ? 俺、最近27でもちょっと小さいんだよな……」

 足をゆらゆらさせながら感想を述べる亮を眺めながら、なんとなく、きっとまだ大きく成長しそうな亮の未来に思いを馳せた。
今はまだお互い10代だけれど、もうすぐ僕も二十歳になる。亮だって高校を卒業したらおそらく大学に進学して、僕と同じように4年間を過ごすことだろう。
僕たちは一体いつまでこうして寄り添っていられるのだろうか。今はきっと、お互いずっとこうしていたい、もっともっと深く絡み合って離したくないと思っているけど、ほんの数年先のことですら全然想像できない。大きくなった亮のことも、きっと僕は大好きなんじゃないかなって思わずにはいられなかった。それがたとえ幻であったとしても、僕はただ、今のこの絶対的に確かな一瞬を抱きしめていたかった。
ごちゃごちゃしてきた思考を紛らわしたくて、僕はぎゅうっと彼の身体を思いっきり抱きしめる。

「わ、ちょっと…何だよ急に…!」

「ん~、今のうちに小っちゃい亮を堪能しておこうかと思って」

「な、なんだよ、それ…」

 恥ずかしそうに身じろぐ様子がなんとも可愛らしい。きっと彼はどんどん大きくなって、立派な大人になっていく。
亮のことだから、筋肉もしっかり鍛えちゃったりして、逞しい成人男性になるかもしれない。
それは別に悪いことではなくて、むしろとっても喜ばしいことだと思うのだけど、今の彼自身を、今こうして一緒に過ごしている瞬間を、もっともっと抱きしめていたかった。

「ねぇ、亮、今日は何したい? ゲームする? それとも、また一緒に観光する?」

 亮が望むことを一緒に分かち合いたい。
彼が思うこと、感じること、そして彼が僕と一緒にいたいと言ってくれること。それら全てを、今日もしっかり抱きとめて過ごしていきたい。

「そうだなー、今日は、ゲームするか」

「いいよ。クエスト、進めよっか!」

 新鮮な朝日が窓から軽快に差し込んでくる。
今日はまだ土曜日。今日も明日も一日中ふたりで過ごせることが何よりも嬉しくて、僕は腕の中で微笑んでる大好きな恋人をただ静かに抱きしめた。

 
 
 
 
 
 
 
 
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