第三話 吾亦紅* Waremokou

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 太陽が真上に位置する頃、椎坐は家臣の武士たちを屋敷広間に召集した。すでに武士たちの間では噂になっていたのだろう。事件の真意を知りたい彼らの顔には緊張が走り、椎坐の言葉を今か今かと待っていた。

「皆、忙しい中集まってくれてありがとう。その様子だとすでに耳に挟んでいるようだが」

 上座に椎坐が現れると、家臣たちは一斉に深く頭を下げた。

「……昨夜、喜三太が家臣を斬り、私に刃を向けた」

 その一言で広間が一気にざわめいた。長年忠実に仕えてきた喜三太が主人を裏切るなど、到底信じられないといった表情を誰もが浮かべている。椎坐は静かに手を挙げて混乱を制した。
「落ち着け。喜三太はすでに吸血鬼に侵されていた」
 武士たちは驚愕の表情を浮かべながらも、椎坐の言葉に耳を傾けた。
「喜三太は戦場で負傷した際に吸血鬼に噛まれていたのだろう。そしてその呪いが進行し、ついに彼は自分の意思を失った」
 武士たちの間に動揺が広がる。喜三太ほどの武士でも吸血鬼に侵されるという事実は、同じ武士として耐えがたいものだった。その動揺を見た椎坐は、今ここで仮面の存在を語れば更なる混乱を招くと確信し、胸中に留めた。椎坐は困惑する家臣たちを眺めながら冷静に続けた。
「彼は家臣を襲い、ついには屋敷の宝物庫にまで侵入した。私は止むを得ず、助世富と共に彼を斬った」
 その言葉に、椎坐の後ろに控えていた助世富へ視線が集まる。しかし助世富は一切微動だにせず、椎坐が話し伝えることだけに集中していた。重苦しい沈黙が広間を支配し、やがて、一人の武士が口を開いた。
「百姓たちには……どう説明しますか?」
 椎坐は少しの間考えた後、低い声で言った。
「病死とする。喜三太が吸血鬼となった事実は、外部に漏らしてはならない。これ以上島に混乱を招くわけにはいかない」
 武士たちは静かに頷き、それぞれがその決定を心に刻んだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第三話 吾亦紅

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 昼下がり、椎坐は宝物庫に足を運んだ。高床式のその倉は、先代たちが大切に守ってきた杖部利家の財宝を収めている。室内はひんやりとしており、仄かな湿気の匂いが漂っていた。
 椎坐は改めて一つ一つの品を確認していく。掛け軸や古い鎧、異国から運ばれた陶器や武具。それらは宝物と呼ぶに相応しい趣がある。しかしあの石の仮面だけは異様な空気をまとっていた。
「やはり気味が悪いな……」
 椎坐は慎重に仮面を持ち上げ、机に置いた。通常であれば人の顔が掘られただけの石の塊に見えるが、何か奇妙な力を感じさせる。椎坐は仮面を見つめながら昨夜の出来事を反芻した。まるで吸血鬼のようなパワーを持った喜三太。その太刀は並大抵の武士では相手にならないほど強力だった。そしてあの時、喜三太の顔には真っ赤な血に染まった仮面が喰い付いていた。
「……まさか、血か?」
 椎坐は小刀を取り出し、指先を少しだけ切った。恐る恐る仮面に血を一滴落としてみる。すると、仮面が微かに震え、裏面に鋭い牙のような突起が現れた。
「……これは!」
 椎坐は驚きながらも更に慎重に観察した。この仮面には血に反応する何かがある。それが喜三太を狂わせた原因なのかもしれない。
「この仮面……一体、何のために作られたんだ……」
 椎坐は仮面を真剣な面持ちで見つめた。しかしいくら考えたところで想像の域を出ることはないと悟った椎座は、ひとまず仮面を自室に持ち帰り、丁重に管理することにした。

 その夜更け。椎坐は自室で一人、いまいち捗らない政務を行っていた。蝋燭の灯はゆらゆらと不安定に揺れ、仕事に集中したくとも喜三太や仮面のことが脳裏に浮かぶ。椎坐は筆を置き、深いため息をついた。

 ————— すべては杖部利のせいだ。忠義を喰いものにしたくせに

 喜三太は父の代から仕えた家臣であり、自分にとっても師匠のような存在だった。その彼が不義を働き、怒りを現すほどの真実。杖部利家の人間ですら知り得ない仮面の謎を、なぜ喜三太が知っていたのか。一体いつ、誰に仮面のことを聞いたのか、謎は深まるばかりだった。しかし、もしそれが真だというのなら、胸が苦しくとも知る義務があると椎坐は思った。それと同時に、家臣たちの忠義を疑い始めていた。喜三太が逆心するということは、誰が謀反を起こしてもおかしくないのではないか。最も信用していた家臣が背いたという事実は、椎坐の心に深い傷を残していた。

「椎坐」

 背後から声がする。振り返ると、助世富が襖の傍で正座をしていた。その顔には、不安と緊張が混ざっている。
「何だ、助世富」
「喜三太のこと。まだ、悩んでんだろ?」
 椎坐は少し間を置いて頷いた。
「……長年仕えてきた彼が背信した。お前は、なぜだと思う?」
 助世富は椎坐の近くに歩み寄り、正座をしてしばし黙った。
「……俺には、分からない。でも、何があっても、俺は椎坐を裏切らない」
 その言葉は椎坐の心で空虚なこだまとなった。
「俺は喜三太とは違う。椎坐を裏切るようなことは絶対にしない!」
 助世富は言い聞かせるように繰り返した。その声色には強い決意が宿っている。椎坐は唇を噛んだ。
「……お前のその言葉を信じたい」
「信じてよ」
 助世富は真っ直ぐ椎坐を見つめた。その気配に、椎坐はわずかに心を動かす。助世富は父親の謀反で一族の名を汚され、家族を失っている。背信に人一倍厳しいのは理解していた。しかし椎坐は助世富を直視することができなかった。椎坐の心は仮面だけを見つめ、胸中は不透明な霧がかかったかのように薄暗かった。
「椎坐、後悔してる?」
 助世富の声は真っ直ぐ、椎坐にだけ向けられていた。
「俺が首を斬り落としたこと。本当は怒ってる? 椎坐は最後まで仮面を狙ってたよね」
「……怒ってなど、ない。あの状況ではおそらくあれが最善だった。それに、お前の判断で斬れと命じたのは俺だ」

「それじゃあ何で、俺を見ないの?」

 助世富はすがるような声で言った。

「……椎坐って、意外と分かりやすいよね」
 その声は少し震えていて、彼の感情を繊細に奏でていた。
「俺のこと、疑ってる」
「疑ってなど……」
「俺の “忠義” を疑ってる。分かるんだ。喜三太の忠義と俺の忠義の違いが見つからないんでしょ?」
 助世富の言葉は恐ろしいほどに核心を突いていた。それは偶然かもしれない。小姓の助世富にとって椎坐からの信頼を失うことは死に等しいほどの苦痛だったからだ。
「そんなことはない。喜三太とお前は違う」
「何をもって? はっきりと何が違うか言える?」
 椎坐は反論しようとしたが、言葉が見つからず、喉に空気が詰まるような苦しさを覚えた。
「俺は椎坐のためなら、なんだってする」
 助世富は必殺な様子だった。
「喜三太には出来なくて、俺には出来ることがある」

「……なんだ、それは?」

 椎坐はようやく助世富の目を見た。視線が交わると、助世富は目を細めて椎坐の頬にそっと触れた。
「椎坐のためなら、この命はもちろん、この身を捧げることが出来る」
 助世富はそう言うなり、頬にそっと口付けをした。
「何を、して……」
「俺は小姓だ。いつだって準備はできてる」
 助世富は声を震わせながら、少し色っぽく耳元で囁いた。
「やめろ……お前にそんなことは……」
「これくらいなんてことはない。喜三太にはきっと出来ないけど。でもこれが、アイツと俺との明確な違いだ」
「それは違う……」
「違わないよ」
 助世富は椎坐の首筋に接吻を添えた。そしてそのまま何事もないことのように、椎坐の陰茎に手を押し当てる。椎坐は思わず腰を引くが助世富はゆっくりと袴の上から形を撫で始めた。
「じゃあ何が違うのか言ってよ」
「…それ、は……」
「ほら、言えないじゃん」
 椎坐は混乱していた。助世富を制するべきだと分かっているが、それでは彼が身を持って差し出す忠義を拒絶するような気がした。別の示し方があるようにも思えた。しかし、具体的なことが浮かばない。おそらく、これが今の彼なりの忠義の示し方なのだろう。でもそれは誠ではない。辞めさせるべきだ。しかしどう諭せばいいのか。迷いがぐるぐると渦を巻く頭をかき乱すかのように、男の手が股間を愛撫している。まるで壊れ物でも扱うかのような丁寧な指先に、熱がどんどん膨らんでいく。戦が終わったばかりで久しく女事とも疎遠だった椎坐の欲望は心地よく滴り落ちていった。
「女に会いに行かないでも、俺が相手するのに」
「……お前を色小姓だと思ったことはない」
 椎坐は助世富の腕を掴んで抵抗する。しかし助世富は愛撫する指の力をさらに強くした。
「……くっ、ぅ」
「遠慮なんていらないから。別におかしなことじゃないだろ?」
 そう言いながら椎坐の袴を引き下ろし、陰茎を直接握り込んだ。それは女の手とは違う。刀の柄を強く握り、分厚くなった武士の手だった。
「ぁ、あ……」
 椎坐は思わず息を漏らした。
 助世富は戦友であり、弟のような存在だ。そして喜三太は師であり、兄のような存在だった。慕っていた。信頼していたからこそ全てを任せていた。それなのに……
「……ん……ぅっ…」
 欲望と敬愛が混ざり合う心地に椎坐は当惑する。椎坐は頭に浮かぶ存在を必死に振り払った。しかし助世富の指先は確実に熱を誘っていく。そしてその熱に引き寄せられるように、赤く熟れ始めた雄をするりと口に含んでしまった。
「……っ…何を、して……!」
 椎坐の制止を無視して助世富はそれを丁寧にしゃぶりだした。
「…っ、ぅ……よ、せ……あっ」
 熱い舌が絡む感触に椎坐は思わず息を詰めた。その隙に助世富は椎坐の袴を取り去り太腿を押し広げる。そして、まったく臆することなく陰茎から睾丸まで犬のようにべろりと舐め、そのまま口の中にすっぽりと玉袋ごと吸い込んでしまった。
「あ……」
 今までに味わったことのない感覚に椎坐は目を見開いた。どんな遊女でもそんなことはしない。助世富に抵抗感はないのだろうか。男だから抵抗が薄いのか。しかし自分にそんなことが出来るかと想像しても、例えそれが助世富であっても出来る自信はなかった。睾丸を口の中で転がされ、何度も吸われ、椎坐は今にもこぼれそうな快楽に身を震わせた。ちゅ、ぽっと音を立てて口から吐き出されたかと思うと、助世富と目があった。しかし助世富が一体何を考えているのかよく分からなかった。すると助世富は掴んでいた足をぐいっと更に押し広げ、身体を二つ折にでもしようと言わんばかりの体勢へと仕向けた。
「お、おい!」
 椎坐が叫ぶと同時、助世富は睾丸の垂れさがる更に奥に唇を寄せた。それが一体何の行為なのか分からず、足を掻いて抵抗する。しかし思いがけない箇所に温かく柔らかいものが触れ、椎坐は思わず悲鳴を上げた。

「おまえ正気か……!!?」

 助世富はあろうことか尻の穴に接吻をしたのだ。椎坐の質問を無視して彼は舌を這わせ、甘い音を鳴らしながら接吻を何度も繰り返した。
「ここ、気持ちいいって聞いたから」
 助世富は何食わぬ様子で、尻を舐めながら陰茎を抜き始めた。椎坐は想像もしなかった快楽に身震いする。
「……っあ、ぁ……んぅ……」
 こんなことは辞めさせるべきだ。椎坐の頭の中は羞恥と後悔で膨れ上がった。しかし押し寄せる快楽はより深い刺激を求め腰をぶるりと震わせる。

「椎坐?」

 その声はいつもの助世富だった。目を開くと自分をじっと見つめる助世富の顔があった。その表情は命令を待つ忠誠の色なのに、大きな瞳はぽっかりとあどけない。しかしその奥に湿っぽく熱い欲望がとろけているように見えた。
「……も、もう、いい…… わかった… お前の忠義は、もう、痛いほどに……」
 シーザーは思わず顔を覆った。助世富は椎坐の足を離してから、再び陰茎を咥えた。そして今までの柔らかい刺激ではなく、強く吸い上げながら確実な愛撫を繰り返していく。
「……ぅん、ぁ……で、る……」
 椎坐は助世富の額に触れて離れるよう促すが、彼は首を横に振って離れなかった。
「助、世……やめろ。出ると、言っている……!」
 助世富の髪を掴むが、彼は陰茎を咥え続けた。口の中でつたない舌が必死な様子を描いている。その未熟な感触に助世富の存在を強く感じ、椎坐は狼狽する。今奉仕している者は紛れもなく助世富である。かけがえのない親友であり、弟であり、最も信頼している男。
 そう強く自覚した瞬間 ———————

「……っ……ん……」
 椎坐は白濁を放った。それはこの上なく長い恍惚だった。
 椎坐は思わず顔を背けた。親友に、弟に、とんでもないことをさせてしまった気がしてならない。シーザーは心から後悔した。
「もう、いい。下がれ……」
「はい……」
 助世富は着物を整えると、すぐに部屋から出て行った。

 ぽっかりと熱の消えた畳間。辺りは風が凪いだかのような静寂に包まれる。

 椎坐は一人、取り残されたような心地だった。誰もいない部屋は孤独を深める。熱の消えた肌は冷静さばかりを見せつける。その静寂は共に戦った武士たちのことを思い出させた。共に勇んだ帰り道、椎坐は何度も一人だった。残るのは冷たい熱。吸血鬼に喰われた仲間の首を斬り落とし、血で着物を染め、その身体を一つ一つ土に埋めて屋敷に帰る。何度も何度も。気が狂うほど繰り返した。だからもう、人の死には慣れた。そのはずなのに。

 ひんやりと、潮の香がしたような気がした。助世富が出て行った襖の隙間から夜風が忍び込んだようだ。風は椎坐の心を静かに撫でる。その片隅に死んで行った仲間の気配があるような気がした。そこに喜三太がいるかは分からない。ただ、長らく杖部利に尽くしてきた者たちの思いを無駄にしたくないと椎坐は深く思った。

「助世富にも、謝らないとな……」

 彼の決意を疑うなど、なんと愚かなことか。この顛末は助世富の忠義を信じなかった罰だと椎坐は思った。未だに助世富のあの熱い舌の心地が残っている。それは奇妙なほどに椎坐の熱をざわめかせ、落ち着かない気持ちにさせた。

 あまりにも熱く、あまりにも未熟で、あまりにも真剣な思いがそこにはあるような気がした。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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