-----生身であるというだけで
人として同質であると思うようになったのは、いつからなのだろう?
世の中にはごまんと人間がいて、それらは当たり前のように、親から授かった身体によって生かされていた。
そして、出身や話す言葉など、何かしらのアイデンティティの一致や違いによって、自分自身というものを認識していたはずだ。
こうしてサイボーグが当たり前のように街を歩いている時代になったからこそ、非サイボーグであるというだけで、ここまで意識してしまうのかもしれない。きっと昔は、生身であるということだけで同じだなんて思わなかったはずだ。
電脳化もインプラント化も、ある意味サイボーグ化していると言えなくもないが、9課のような環境に身を置いてからは、サイボーグの自己定義が大きく変わった気がする。
寒さで身体の末端の感覚がなくなっていくのを感じながら、サイボーグだとかアンドロイドだとか、使い古された概念しか出てこないようなレトロな記憶を電脳越しに彷徨っていた。
そして、ふと “感覚がないということを感じる” とはまた変な話だなと思い、すぐにまた思考が脱線しかかるのだ。
こんなつまらないことを反芻するように考え続けている理由は、おそらく今回の任務が逃避に値するような厄介なものだからだろう。
まだ10月だというのに、馬鹿みたいに寒い北端での任務は、サイトーとふたりでの張り込み、潜入捜査だった。
こういった体力勝負の任務に、生身の俺が就くことは基本的にないのだが、反義体化組織という非常に面倒な集団の中での捜査のため、サイトーと二人で就くことになったのだ。
何年も前から使われていないであろう廃ビルの一室。
リノリウムの床に、セメントと砂が混じり合ったような古い臭いが立ちこめた冷たい空間で数時間、こうして待機状態だった。
圧倒的に冷たい無機質な床は人の温度で温まることはない。凍てつく温度に侵蝕されないよう、ただ無力にも耐えるしかないのだ。
それなのに、サイトーはまるで何も感じてないと言わんばかりのポーカーフェイスで、相棒のライフルを片手に静かに目を閉じていた。
(同じ人間とは思えない・・・)
サイトーと自分では、生きてきた環境が違うのだから仕方ないが、それにしても同じ生身の人間でここまで違うものだろうか。
そして何より、この男はすさまじく無口なのだ。
もちろん任務中におしゃべりをしろとは言わないが、何も言うなと言わんばかりの空気感。
俺もどう接していいのかいまいち分からないのだ。
そんなこんな、なんだかやりにくさを感じながら任務をはじめて数日が経っていた。
「トグサ」
突然、サイトーが俺を呼んだ。
無駄な動きひとつせず、瞼だけをすっと開いた様子は極まって静かだった。
「何?」
「寒いのか?」
何を言い出すのかと思えば、俺の身体への気遣いだった。
バト-と屋外任務をする時にも、よく身体的状況を聞かれることはあったが、やはり誰といても気を遣わせてしまうらしい。
そして、同じように大半が生身であるにも関わらず、寒さひとつ感じさせないサイトーの様子に俺はバツが悪くなった。
「別に、大丈夫。任務に集中しろ。」
俺は少しイライラしていた。
寒い中長時間動けないことに対する苛立ちもあったが、サイトーのつかみ所ない表情や冷静な姿になぜだか苛立ちが募るのだった。
俺はサイトーから目を反らし、自身の気持ちを落ち着かせることに努めた。
このままでは、任務に支障が出るかもしれない。己をコントロールできないまま事件が進展しても厄介だ。
今のうちにセルフコントロールしておいた方がいいだろう。再び電脳にアクセスしようとしていると、サイトーが俺に視線を向けていた。
「トグサ、寒いだろ。」
「だから、大丈夫だって!」
「違う。俺が寒い。」
「え?」
思わずサイトーの顔を見た。
「俺が、寒いんだ。だから、こっちに来い。」
サイトーは、控えめに口角を上げて、何かを見透かしているかのような顔で笑っていた。
この男もこんな顔するんだなと、思わず見とれてしまった。
「さ、寒いなら、もっと寒そうな顔しろよ・・・!」
俺は慌てて目を反らして、わざと強めの口調で言った。なにを慌てているのか自分でもよく分からなかった。
近くにあった荷物を壁に放り投げ、そそくさとサイトーの隣に腰を下ろす。
サイトーは無言で俺の腕を掴んで体を寄せた。触れた指先は冷気によってひんやりと冷たくなっており、こいつも人間なんだなと思った。
「寒いのはよくない。」
「ん?」
「寒いと、指が動かなくなる。いざという時に指の感覚が合わないのはダメだ。」
「そう、だよね。」
突然はじまったサイトーの話に耳を傾ける。
サイトーは淡々と続けた。
「だから余程なことがない限り、一人で寒い土地には行かないようにしている。行くなら誰かを連れて行く。」
「他人で暖をとるのかよ・・・」
「それが一番効率的だろ?」
そうかもしれないが、戦場などのサバイバルな環境で兵士が身を寄せて暖を取るものだろうか。
なかなか想像がつかない光景だなと思いながら、生身特有の温度を感じていた。
「今の話本当?」
「俺が嘘をつくと思うか?」
「うーん、どうかな・・・分からない・・・」
わざわざ嘘をつくような男には見えないが、必要があればためらうことなく嘘をつきそうだとも思った。
だが今この状況で嘘をつく必要が果たしてあるのだろうか。
しかし、直感的にたぶん嘘だろうと思った。だが、そうだとしたら、なぜ嘘をつく必要があったのだろうか?
「でも、嘘であれば、サイトーも冗談言うんだなぁって感じだし、もし本当ならそれはそれで意外だし、どっちでもいいかな。」
「おまえは俺を何だと思ってるんだか・・・」
「少なくとも、今、人間なんだなぁって思うようになった。」
「今までは人間じゃないと思ってたんだな。」
サイトーは少し呆れた顔をした。
その様子がなんだか嬉しくて、俺は、せっかくだからサイトーの嘘に便乗することに決めた。
ポンチョの下で無防備に開かれたサイトーの右手を掴んで、今度はこっちから体を引き寄せた。
サイトーは少し驚いたような顔をしたが、特に抵抗することなく、そのまま俺に右手を預けてきた。
「それでは、御指、温めて差し上げましょう。」
俺は冗談混じりに、サイトーの目を見つめながらにやりと笑ってみせた。
「そうか、それじゃあ、頼もうか。」
サイトーは、まっすぐ俺の目を見据えて笑った。
その目は、スナイピングの時に見せる、獲物を狙う時のような野性的な目をしていた。
俺はその時、初めからサイトーのゲームに乗せられていたんだと気がついた。