Reunion

 
 
 
 
 
 
 

「今日は午前10時から、ネットワーク管理局の記者会見です」
 森野優一は職場の同僚たちと一日の予定を仮想空間のミーティングルームで確認していた。今日は珍しく世界を牛耳る巨大企業・ネットワーク管理局、通称NAB社の記者会見が開かれる。ネットニュースが主流のこの時代にわざわざ幹部が顔を出し、記者を呼んで状況を説明する記者会見を好んで行う企業は少ない。もはや伝統行事のような趣になっているそれは、巨大組織が市民への建前として時々開かれることがある。
 先日の検索ネット検閲事件に関する記者会見。ネットワーク会社の検閲なんて今時珍しくもないが、一部のローカルネット団体が尾びれに背びれをつけて事を大きく仕立てあげたのだった。おそらく、あのNABのことだからこの記者会見で全てを上手く丸め込む算段を立てているに違いない。何にせよ表向きの記者会見。そこに訪れる記者たちのメインディッシュはあのNAB幹部とのパイプ作り。そのためにこぞってメディアや実業家たちが集まる、まさに茶番会だ。
「特定情報を意図的に目に触れないよう、アルゴリズムで調整していたことがバレちゃったんだっけ?」
 ネット記事、ソーシャルサービス、掲示板、週刊誌…。資料には一通り目を通していたが、優一は白々しく会話を続ける。誰もが表向きの出来事に集中しているふりをする。それは優一も同じだった。彼も今日の記者会見で幹部からどうしても知り得たい情報があったのだ。
 優一はかれこれ半年近く、The Worldにおける「Mother」の事件を追っていた。その事件にNAB社が何らかの関わりをもっていることまでは突き止めていた。しかし不自然なくらい綺麗に関連データが消されており、おそらく幹部級の人間が何かしらの隠ぺい工作をした可能性が高かった。そんな彼ら幹部級に近づくことは非常に難しい。例え大手新聞社が取材依頼を出しても表に出てこない。
「NABは間違いなくMotherについて何か知っていると考えられます」
 優一は自分に言い聞かせるようにして言った。ローカルで記者を迎え入れるのは実に1年半ぶり。今日は彼らに一発、質問をぶち込もうという算段だ。しかし今回の事件と全く関係のない質問をしたところで、まともな返答がされることはないだろう。生中継とは名ばかりで、質問と回答には台本が用意され、会場は完全にオフライン。イレギュラーな質問はその場で綺麗にカットされ公に対し配信されることは決してないのだ。だからこそ、現場に行く必要がある。そこでしか得られないひとつまみの情報を、なんとしてでも掴みに行かなくてはならない。
「あなた、すっかりMotherに夢中だもんね」
 同僚の一人が呆れ気味に笑う。ネットのほら話やオカルトの類として扱われることの多いMotherの事件を追う記者は少ない。あまり実りのなさそうなオカルトネタを追うくらいなら、確実に「美味しい」事件を追った方が懸命だ。そうすることでキャリアに無駄が出ないことを誰もが理解し、それを悪びれる様子もなく口にする。社会にとって重要な真実を伝えるより、その真実を握る者といかに上手く付き合うかが重要なのだ。正義という大義名分に縛られるのは純粋さと無知を愛する愚民だけ。この世界に長くいると誰もがそれを受け入れ、年を積み重ねていく。少なくとも、優一もそのひとりだった。
「それでは行って参ります」
 各々の予定を共有したところで優一は回線をシャットダウンした。正直なところ、今は記者同士の思惑など、どうでもよくなっていたのだ。
 
――――― ギルドカナード。
 その名前を耳にするだけで思い出す、あまりにもキラキラと眩しい日々。あの甘くて懐かしい思い出を、優一は永遠に美しいまま葬りたかった。しかし一度現実に引き寄せてしまった柔らかい記憶を、また同じように仕舞い戻すのは難しい。立ち止まると、胸にとろとろと流れてくる温かな追憶に流されそうになる。いっそ流されてしまいたい。しかしそれが結局何にもならないことを彼は深く理解していた。ただそれを噛みしめるように、そして噛み殺すように、NAB社へと向かった。

 
 
 会場は記者会見とは到底思えないような浮かれた雰囲気に包まれていた。実のところ、今日は新しく幹部入りした男の初登壇の日でもあった。その男の名は「三崎亮」。まだ27歳にも関わらず、数少ない幹部席を手入れたエリート中のエリート。その若さと容姿も相まって、彼に関するネット記事は概ね肯定的だった。
「あ、タイムズ紙の森野さんですか? お久しぶりです」
 会場の隅で時間を待っていると別会社の記者が挨拶回りにやってきた。いくらデジタル化が進もうとも変わらないものがある。この挨拶回りとやらもその一つだろう。それは一種の信仰のように保たれ、形式化することで宗教化していく。すでにその意味を失っていても、何かの儀式のように、なお人々の間に巣喰っている。とはいえ、必ずしも悪いものばかりではない。人が生きるには心に信仰が必要だと思うときもある。そして優一は挨拶の言葉によって人と人が繋がりあっていくことの気持ち良さを知っていた。これもカナードでの活動を通して実感したものだった。ひとつの挨拶から、何かが伝播するかのように次々と人が現れ、まさに顔合わせのパーティーといった雰囲気が出来上がっていく。そんな空気が完全に沸点へ登りつめた頃、今日の主役・三崎亮が颯爽と現れた。
 会場がわっと、さらに華やいだ気がする。それくらい彼は独特な人を惹きつけるオーラを纏っていた。これが所謂カリスマ性というやつなのか。27歳とは思えない落ち着きと、凛とした眼差し。話していた女性記者の視線が一瞬にして彼の元へ攫われていった。彼はそんな周囲の興奮をよそに、壇上に立つと聡明な声色で記者会見の始まりを告げた。

 数分間の記者会見における三崎亮の返答は完璧だった。とは言っても台本が用意され、互いにそれを読み合うだけなのだが、それにしても完璧だ。全く恐ろしいほどに。ここにいる奴らは少しでもいいから、NABの恩恵をより良く受け取りたいがために台本を読みあげるデクの坊。その関係を一切崩さない完璧な演出。
 ひと通りの質問が終わり、凛とした静寂が訪れる。亮は周囲を落ちついた様子でぐるりと見渡す。彼の冷えた視線が優一の頭上をかすめた。

「すみません。タイムズ紙の森野です。ひとつ質問がございます」
 一斉に視線が集まる。台本にない質問だから当たり前の反応だ。しかし壇上の男は全く動じることなく、優一に視線を向けた。
「タイムズ紙のかた、どうぞ」
「今回の検閲は、Motherの行方に関する情報操作だと考えられるのですが、間違いないでしょうか?」
 沈黙の雪原に突如撃たれた銃声のように、言葉が空気を切り裂くと、会場が一瞬で険悪にざわめき始める。
「マザー?なんだそりゃ?」
「掲示板のガセだろ。何聞いてるんだあいつ?」
 すぐ近くにいた男があからさまに侮蔑の声をあげている。しかし優一は壇上の男から一瞬たりとも視線を外さなかった。

 
 

 
 

「……本件と直接関係のない質問にお答えすることはできません。次の質問に移ります」
 誰が見ても亮は完璧な対応だった。おそらくこれは全てなかった質問と回答として処理され、市民の目に入ることはないだろう。しかし亮をまっすぐに見つめていた優一だけが、その瞳に揺れた張りつめた光を見逃さなかった。
 亮の瞳が、一瞬だけこわばる。ほんの一瞬だけ。そして通常より2秒ほど質問への反応が遅れた。亮はしばらくの間、まっすぐ突きつけられる優一の視線から逃れることが出来なかった。何も知らず、真っ白い雪原に現れる野兎と、それを待ち続けた狩人のように、それはまるで、そこには始めからふたりしかいなかったと思わせるような、静かな一瞬だった。

 
 
「僕の質問出てます?」
 記者会見を終えた優一は、配信を確認していた同僚にコンタクトを取る。
「いや~全然出てないね」
 案の定、質問は綺麗さっぱりカットされていた。
「それで収穫はあった?」
「んー、まぁ、確信はまだないけど……一応は。また来週、報告書出しますんで」
 回答を期待していたわけではない。しかし間違いなくNAB社は何かを知っている。そして隠している。優一の質問によって完璧に隠していたと思っていた事件に対し、探りを入れられていることを知った幹部たちは何かしらの動きを見せてくる可能性が高い。
「あれ? もう帰っちゃうの?」
 時刻はまだ午後4時を回った程度だった。しかし優一は椅子に座って物を考えるような気分にはなれなかった。
「花金じゃないですか。僕、もう帰りますよ」
「あれ? なに? もしかしてデート? あ、それともまたあの酒飲みのおっさん?」
「あはは、後者の方です」
 他愛のない話をしながら、優一は亮の眼差しを思い出していた。初めて会ったはずなのに、どこかで会った気がしてならなかったのだ。おそらくネット記事や週刊誌で何度か見た顔だったので、そう感じただけだろう。
 それなのに、あの視線に、懐かしさのようなものを感じて仕方なかった。

 
 
 
 

>> 盲目の吟遊詩人