Episode 3. Con Panna “Style”

 

 その後もヨシュアとの交流は続いた。どうやらあれから本当に筋トレを始めたらしく、ことあるごとに筋肉の具合を報告してくるようになった。一週間やそこらでいきなり身体が大きくなるようなことはないのだが、ヨシュア自身は以前よりしっかりとした身体つきへ変わっていくのを感じるらしくとても嬉しそうにしていた。
 ハロウィンも終わり、そろそろサンクスギビングの連休が近づいてきたせいもあってか街がなんとなくそわそわしている。ハロウィン、サンクスギビング、そしてクリスマス。年の終盤は連日ホリデーの雰囲気が立ち込めているので正直ビジネスマンもいまいち仕事に身が入らない。ジョセフもそんな人間のひとりであった。ホリィに何をプレゼントしようかと仕事中に考えては、外回りついでにちょっとメイシーズに足を伸ばしてみたり、取引先の人間とサンクスギビングディナーのミートローフの味付けに関して議論して大盛り上がりしたり、そんなことばかりしてしまうのだ。

 そんな季節のある日の夕方。驚くべきことが起きた。なんとあのヨシュアから一本の電話がかかってきたのだ。電話のことなど忘れかけていたので、ジョセフは不意打ちの一撃を盛大に食らってしまった。そしてその内容は思いがけない提案だった。「今週末、一緒に出かけませんか」というのである。もちろん仕事が忙しかったら気にするな、家族と過ごすのであれば大丈夫だと非常に丁寧な断りつきのお誘いだったが、ジョセフは即答で「YES」と返事をした。この話は、そんなことがあったとある11月の週末の話である。

 
 
 
 
◆◆◆
 
 
 
 

 ジョセフは家族を何よりも一番に考える。1にスージーQとホリィ、そして次に母親である。もちろんエリナおばあちゃん、そしてスピードワゴンのじいさんの墓参りもかかさない。だからこそ、家族と過ごすサンクスギビングやクリスマスの祝日は何よりも大切なイベントであった。家族と何気ない日々を過ごすたびに、ふと時々、シーザーのことを思い出す。彼はどんな祝日を過ごしていたのだろうか。長い間家族がいなかったと聞いていた。エアサプレーナ島で修行を始めてからは何度か祝日を一緒に過ごしたとスージーQから聞かされてはいたが、彼は多くの時間を一人で過ごしていたのではないだろうか。
 ジョセフはヨシュアを待つ間ぼんやりと古い記憶と向き合っていた。ヨシュアはメトロポリタン美術館の噴水前に午後2時に来て欲しいと伝えてきたので、ジョセフは予定より10分ほど早く指定の場所で待った。美術館はジョセフの家からほど近い場所にあり、家族ともよく訪れていたので庭みたいなものだった。そういえば初めてヨシュアと出会ったのもここからほど近い交差点だった気がする。
「ジョースターさん。こんにちわ」
 聞き覚えのある柔らかい声にジョセフは振り返る。
「ヨシュ……」
 声をかけようとしてジョセフは思わず息を飲んだ。目に飛び込んできたのはパステルカラーのカジュアルなジャケットと、白いパンツファッションのひとりの青年だった。それはあまりにも、あまりにもシーザーだった。シーザーが街へ買い物に出かける時によく着ていた衣装にあまりにも似ていて、思わず言葉を失って立ちすくんでしまった。
「ジョースターさん?」
 茫然として動かないジョセフを覗きこみながらヨシュアは眉をひそめた。
「大丈夫ですか?」
「あ、いや。すまない…… なんでもない」
「もしかして、ご友人さんのこと思い出してました?」
 鋭い指摘にジョセフは隠すことなく謝った。
「あ、ああ…… 申し訳ない」
「謝らないでください。それにジョースターさんがその人のこと考えてる時ってなんだか分かるんです」
 ヨシュアは少し寂しそうに笑った。
「今日は来てくれてありがとうございます。凄く嬉しいです」
 その素直な言葉に、ジョセフは過去の幻影を頭から追い出す。しっかりとヨシュアを見つめ直してジョセフはヨシュアを歓迎した。
「俺の方こそ。誘ってくれて嬉しいよ」
 視線が交錯すると、ヨシュアはほっとしたような表情を浮かべていつものような他愛のない世間話を始めた。最近気が付いたのだがヨシュアは自分とは直接関係ない世間話を好んでする。職業柄というのもあるかもしれないがニューヨークで起きた色々なゴシップ情報にかなり詳しかった。それは時にジョセフの仕事の役に立つときもあり、他愛のない話ですらしっかりと耳を傾けていた。
「それで、今日観るこの展示会なんですけど。ジョースターさん、マーク・ロスコって人知ってます?」
「ロスコ?知らないなぁ」
「今日のこの展示の作家さんなんですけど、実は先週プラットの研究所でこのマーク・ロスコ先生の講演会を聞きに言ったんです」
 そういえばヨシュアは大学生だったな、とぼんやり思いながら話に耳を傾けた。
「その時に面白い話をしてて。あ、とりあえず入りましょう」
 ヨシュアはジョセフの進行方向をさりげなく促した。メトロポリタン美術館は広い。そして定期的に展示構成や公開作品が変わる。それと同時にテーマに沿った数々の企画展が開催されており、どうやら今回はこのマーク・ロスコという画家の企画展が開催されているようだった。正直、ヨシュアのような若者が美術作品に興味を持つのは意外だった。そしてあろうことかこのジョセフを美術鑑賞に誘ったのだ。こんな粗暴でいかにも美術に興味なさそうな男、ジョセフ・ジョースターを。
「一人で行っても良かったんですけど、せっかくならと思って。確かジョースターさんってこのへん住んでるでしょ?」
「ああ。ヨシュアは?」
「俺はグリニッチビレッジあたり」
「でも、以前会ったのはこのへんじゃなかったか?交差点で。あの時も美術館に来てたのか?」
「そう。その時は彼女が…… 正確に言うとまだ彼女ではなかったんですけど。一緒に来てて。でも、まぁ、あの時あの時間に一人で歩いていたってことは、つまりそういうことです」
 ヨシュアは苦い顔をして笑った。彼の恋愛事情はあまり聞いたことはなかったが、働いている様子を見る限り女性に困るということもなさそうではあった。とはいえ、恋愛というのはただモテればいいというものでもないことを38にもなったジョセフは十分に理解していたので、あまり詮索はしないことにした。

 ふたりは案内に従って館内の企画展のエリアへ向かう。展示会場にはそれほど人はおらず、広々とした空間に抽象的な色面の絵画が贅沢に展示されていた。全体的に赤と黒を基調にした少し重苦しい雰囲気の絵画空間だった。ジョセフはひとまず展示会場に設置された作家のプロフィールと展示概要に目を通す。この作家はニューヨークで精力的に活動している作家らしく、どうやら近年の美術界で非常に話題な人物のようだった。1940年代から今までに制作された絵画のシリーズの数点を一つの空間に集めてきたらしい。そしてこれらの作品は人間の基本的な感情、悲劇、エクスタシー、破滅などを表現することに興味を向け、彼は色彩から自分自身と人間の内面性を掘り下げるために絵を描いているのだと記されていた。
「なかなか大きなテーマで絵を描いてるみたいだな」
 絵画鑑賞や音楽鑑賞というのはジョセフにとって退屈なものでしかなかった。どちらかというとコミックスや最新映画を観るほうが胸が高鳴る。しかし幼少期に眠くなりながらも様々な芸術作品を鑑賞してきたジョセフは、それなりに作品との向き合い方というものを身体で覚えていた。

「そういえばさっきこの作家が面白い話をしたと言っていたが」
「あ、そうなんですよ。ロスコ先生、芸術作品を作るためには7つの要素が必要だって話をしてて」
 ジョセフはよくわからないまま「それは?」と話を促す。
「その7つの要素っていうのはですね……」
 ヨシュアはもったいぶりながら作品の前に立った。それは展示作品の中でも少し小さな絵だった。

「1つは “死に対する明確な関心” 」

 その言葉にジョセフは少し興味を持った。要素なんて言うから、絵具、筆、モデルみたいな物理的な何かを言われると思っていたからだ。どうやらこれは概念の話らしい。ヨシュアはゆっくりと歩きながらまた別のひと際大きな絵画の前に立った。
「芸術を作るには、”命には限りがあるということ” を作り手自身が深く理解しなくちゃいけないそうです」
 ジョセフは絵画から放たれる不思議な色のゆらめきをただじっと見つめた。その色は決して明るいものではなかったが暗いわけでもなく、何か深みを感じさせるものだった。

「2つ目は “官能性” 」

 その色の向こう側はジョセフの胸の奥へと繋がっているように思えた。そこは自分ですら忘れてしまうほど深くて遠い場所で、そこに小さな箱のようなものがひとつ置かれているのが見えた。

「そして3つ目は “葛藤もしくは抑制された欲望” 」

 その箱には誰にも話したことない、ジョセフしか知らない思い出が隠されていた。そしてジョセフはそれを20年間開けることはなかった。

「4つ目は “皮肉” 、5つ目は “機知と遊び” 」

 なぜかって?それは開ける必要がなかったからだ。それを開けたところで何も取り戻せるものはない。人間は時が経てば忘れる生き物だ。人間の脳みそはそうやって出来ている。だからそっと仕舞っておけばいい。何事もなかったような顔をして平和の中で幸せに暮らしていけば良い。

「6つ目は “儚さと偶然” 」

 ずっとそうしてきたのに。なぜ今になってそれは現れたのだろう。深くて暗くて寒くて遠い。もう二度と近づきたくないのに。誰かがそれを引っ張りだそうとしている。

「そして最後。それは “希望” です」

 ヨシュアが振り返る。彼の瞳はまっすぐジョセフを捉えていた。 

「この7つの要素がそろって、それは芸術になるんだとロスコ先生は言ってました」
 ジョセフはヨシュアの純粋過ぎるほどにまっすぐな瞳から逃れることができなかった。むしろ逃れる必要を感じなかったのだ。
「なぜかこの話を聞いたとき、ジョースターさんのことを思い出してたんです。ジョースターさんってちょっとこういうの好きかなって思って。だから今日お誘いしたんです」

 ジョセフは芸術なんてものをよく理解できなかった。ただ、ずっと胸の奥底に渦巻いていたものがその7つの言葉に集約されて行くのを感じた。ずっと昔に終わったこと。ずっと昔に忘れたと思っていたこと。でも本当はずっと胸の奥底に沈めていただけで、ずっとそこにあったもの。それはヨシュアと出会ったことで再び顔を出してジョセフの深淵を撫でている。ジョセフは色面の絵画の前でじっと立ちすくんだ。それはジョセフの心をそっと覗き込んでいるようで、ただひたすら静かだった。
「ジョースターさん?」
 静けさの片隅にヨシュアが現れたことでジョセフの中にあった何かが大きく動くのを感じる。

「そうだとしたらヨシュアは、俺にとって希望なのかもしれないな」
 ジョセフは独り言のようにそう言った。

 
 
◆◆◆
 
 

 展示を見た後、ヨシュアがセントラルパークに寄らないかと言うのでジョセフはその提案に乗ることにした。しかし11月の公園は意外と冷える。そのため公園に入る前に美術館近くのカフェで温かいコーヒーを買うことにした。適当に立ち寄ったカフェは非常に狭く、コーヒーを提供する以外は何もないようなコンパクトな店だった。そこでヨシュアは何やら細かいことを質問している。
「それじゃあ、コンパナにしようかな。テイクアウトできる?」
「テイクアウトはオススメしませんが…… 当店はテイクアウトしか出来ないので…… 分かりました。少々お待ちください」
 店員は少し面倒くさそうな様子で奥へ下がって行った。
「コンパナ?」
 ジョセフは初めて聞く言葉に首をかしげる。
「はい。エスプレッソにホイップクリームを乗せただけのシンプルな飲みものです。色々聞いてみたんですけど、スチームミルクの扱い方を分かってないようだからマキアートやカプチーノは頼みたくないなと思って」
 ヨシュアは気難しい顔をしながらバリスタの様子をチェックしている。これは相当面倒くさい客だろうなと思いこの店のバリスタに少し同情した。かと言ってわざわざヨシュアを咎めるほどのことでもないので、とりあえずヨシュアのさせたいようにさせることにして、そのコンパナとやらが登場するのを待つことにした。

「お待たせしました。コンパナ2つ。カップはこれしかないので、すみません」
「いいよ。ありがとう」
 ヨシュアはありきたりな笑顔を作ってそれを受け取る。そのカップは通常のコーヒーを飲む用の平凡な紙コップだった。どうやら本当はエスプレッソなど小さなドリンクを飲む時に使うカップに入れるものらしいが、今回はテイクアウトな上そのようなカップは店に置いていなかったらしい。紙コップの中にだいぶスペースを持て余した状態でコンパナと呼ばれる何かが入っている。
「でもこういう時はラテとかアメリカーノの方が良かったですよね」
 ヨシュアが申し訳なそうな様子を浮かべる。バリスタ特有の”こだわり”に夢中になってしまいうっかり面倒なものを注文してしまったことをヨシュアは詫びるようにして言った。
「いやいいよ。こういうのヨシュアがいないと飲めないから」
 その言葉に「ならいいですけど」と言いながら照れ隠しをするようにヨシュアは俯いた。
 ジョセフはそのコンパナという飲みものを一口飲んでみる。クリームとエスプレッソだけのシンプルなそれはかなり苦かった。ジョセフは渋い顔のまま思わずヨシュアを見ると、ヨシュアも同じ気持ちだったのか眉をひそめて非常に渋い顔をしている。ジョセフはすぐにカウンター脇にあるセルフのハチミツを自分のカップにたっぷりと加えるとヨシュアも同様にそれを振りかけた。ふたりはもう一度それを飲んで顔を見合わせる。よしこれなら問題ないとヨシュアの視線が納得の色を浮かべたのでようやく店を出た。
 ジョセフがなんとなく店を振り返ると先ほどのバリスタが啞然とした表情でこちら見ていた。それはそうだろう。散々面倒なことを言っておきながらは作ったものにハチミツをぶちかけるのだから。中指を立てられなかっただけマシだ。
「ジョースターさん、あそこの入口から行きましょう。紅葉が綺麗ですよ」
 何はともあれ、ふたりはコンパナ”風”ハチミツドリンクを片手に、セントラルパークを目指したのだった。

 
 
 
◆◆◆
 
 
 

 セントラルパークは美術館のすぐ近くにある。正確に言えば公園の中に美術館があると言っても良いだろう。建物脇の横道を通り抜けるとそこはすっかり公園らしい広々とした空間が広がっていて、犬の散歩をする者や家族と団欒するもので賑わっている。ふたりはタートル・ポンドと呼ばれる池までひとまず歩くことにした。湖畔沿いはすっかり紅葉が見頃を迎えていて、木々はそこに生まれたことを喜ぶかのようにキラキラと黄色とオレンジに光り輝いていた。湖畔沿いを進むとベルヴェデーレ城と呼ばれる古い建物が見えてくる。なぜ公園の真ん中に城があるかは分からないがその姿はこの湖畔の風景にあまりにも調和しており、訪れる者の目も心も癒してくれる。しかし週末は地元の人間だけでなく観光に訪れる者も多いためふたりは城へは行かず、ランブルと呼ばれる森林エリアを散歩することにした。
「この公園は本当に綺麗ですね。この季節はとくに」
「そうだな。秋のセントラルパークは何度来ても飽きない」
「家の近くにこんな公園があるなんて羨ましいです。俺の家の周りなんかゴミだらけですよ」
 ヨシュアは苦虫を潰したような顔をして舌を出す。相変わらずの表現豊かな表情にジョセフは思わず噴き出した。
「でも楽しいんじゃないか?そのあたりは劇場やバーも多くて賑やかだろ?」
 ヨシュアの住むグリニッチビレッジと呼ばれるエリアは常に文化の栄える若者の街だった。ジョセフも以前は何度か足を運んだものだったが、人が集まるところには良い物も悪い物も集まってくる。ホリィを迎えてからはあまり行くことがなくなっていった。
「楽しいですけど…… でもこうやって美術館に行ったり、公園を歩くのも好きです」
 ヨシュアが一歩踏み出す。すぐ隣を歩いていたヨシュアが子犬のように芝生へ向かって駆けていく。枯れ葉でできた黄色の絨毯をサクサクと踏み鳴らし、時には蹴ったり搔き分けたりしながらヨシュアは楽しそうに秋と戯れ始めた。ジョセフはすぐ近くにあったベンチに腰掛けてヨシュアを眺めた。夕陽になりかかった太陽に照らされるヨシュアは何にも形容しがたいくらい神聖なものに見えた。金色の光が彼の身体を通り抜け、あたり一面を包み込んでいるみたいだった。

「ジョースターさん」
 ヨシュアがジョセフを捉える。
「俺本当は、もう少しちゃんとジョースターさんと話してみたかったんです」
 金色の葉を拾い上げながらヨシュアは唐突にそう言った。
「うん」 
「その友人さんのこと、聞いてもいいですか?」
「うん」
 ジョセフには断る理由などどこにもなかった。ヨシュアは赤や黄色の葉を順番に拾い上げながらジョセフのベンチに戻ってきた。そしてそのうちのひとつをジョセフに差し出した。 
「友人の名前は、シーザーって言うんだ」
 ジョセフは落ち葉を受け取りながら、静かに話し始めた。
「シーザーは戦友なんだ。女ったらしのキザなやつで、いつも歯の浮くような台詞を言う野郎だった。俺より2つ上で、そのせいか俺に対してひどくお節介だった」
「全然似てないじゃないですか」
 ヨシュアは笑いながらジョセフの隣に座った。
「どこで出会ったんですか?」
「シーザーとはイタリアで出会ったんだ。俺が18の時だった。シーザーは確か20歳だったかな」
「そこは俺と同じですね。俺も今20歳です」
「そうなのか?もう少し若いかと思った」
 ジョセフは改めてヨシュアを見つめる。20歳のシーザーは自分より大人びて見えたものだ。しかし今こうしてみると当時の自分もシーザーもまだまだ子どもだったのかもしれないと思えてくる。
「それで、シーザーさんは今何をされてるんですか?」
 ヨシュアは確信犯のようにそう聞いた。
「シーザーは、その…… 実は……」
「もう亡くなってる?」
 ヨシュアは単刀直入にそう言った。
「ああ、そうだ……… いつ、分かった?」
「だってジョースターさん、時々死神でも見たような顔してますから。友人に対して普通はそんな顔しないですよ」
 ヨシュアは落ち葉の一つでジョセフの頬をつんつんと突いた。ジョセフは思わずヨシュアに視線を向けると
「ほら、今もひどい顔してる」
 眉をひそめて少し困った顔をした。

「俺、昔はこの痣が嫌いだったんです。どうしてこんなものがあるのかって嫌で仕方なくて。なんとか消せないか考えて、痣のことを図書館で調べていた時期もあるんです。医学はもちろん、神話とか伝承とか呪いとかも色々」
 ヨシュアが息を吐くと、それは煙のようにに空に向かって白く伸びた。
「でも信ぴょう性のないものばかりで。そのうち友人や家族も顔の痣は幸運の証だって褒めてくれるようになりました。だから最近はもうあまり気にしてなかったんです。でもジョースターさんに出会ったとき、思ったんです」
 すぐ近くで躊躇いと確信の気配がした。
「もしかして、この人に見つけてもらうための痣だったのかなって」
 ヨシュアは真面目な顔をして続けた。
「俺、もしかしたらシーザーさんの生まれ変わりなんじゃないかって。でもやっぱり何も覚えてないし。ジョースターさんはどう思いますか?」
 ヨシュアはいつになく真剣だった。壊れてしまうかもしれないから触れないでいた暗闇に、ヨシュアは正面から飛び込んできた。彼は試しているのだ。そして何かしらの確信が欲しいのだとジョセフは思った。

 普通じゃありえないことが今までにたくさん起きてきた。柱の男や石仮面なんてものがこの世界にあったことだって信じられないことだ。波紋のようなエネルギーだって理屈を越えた力だと思っている。そういうものがある以上、生まれ変わった人間が自分の目の前に現れても何らおかしくはない。むしろもし本当ならすんなりと受け入れてしまえる。しかしジョセフには確信はなかった。ましてや20年も経った今、なぜ自分の前にシーザーの生まれ変わりが現れるのかジョセフには分からなかった。
「わからない。そうかもしれないけど、違う気もする。でもたぶんヨシュアとシーザーは違う人間だ」 
 ヨシュアは黙っていた。
「俺は、ヨシュアがシーザーと偶然似ているだけの人間であっても、その…… 生まれ変わりのような人間であっても何も変らない。どっちであってもこうして知り合えたことを嬉しく思う」

 若い頃は何か自分にしかないものを探したくなる。他の誰とも違う特別なんだと信じたくて、自分の中にある自分に確信を持ちたくて、何かにすがろうとしてしまう。自分との出会いが彼にとって特別なものであると思わせることは果たして本当に良いことなのだろうか。ジョセフには分からなかった。そして彼の玉砕を曖昧に打ち返す自分に、大人じみた寂しさを覚えた。それでもジョセフはまだヨシュアと向き合えそうになかったのだ。
 ヨシュアは少し寂しそうに微笑んだ。そしてまだ何か聞きたそうな様子ではあったが、結局ヨシュアはこの話に触れることはなかった。

 なぜロスコの話を聞いてヨシュアがジョセフを思い出したのか。そんなものは理屈で説明できるものじゃない。物事というものはいつもふと思いつくものだ。人間の運命なんてものはいつだってそんなもので、シーザーとの出会いも別れもきっとそんな出来事のひとつでしかない。だから、ヨシュアとの出会いもその一つに過ぎないはずなのに、どうして意味を求めようとしてしまうのか。なぜあの時交差点で出会ったのか、オフィスのすぐ近くでバリスタをしているのか。それを運命と思おうが偶然と思おうが、どちらも表裏一体ではないか。人間はただ目の前に起こったことを受け止めて生きていく。それしか出来ないのである。
 ジョセフは立ち上がり「そろそろ行こう。寒くなってきた」とヨシュアに手を差し伸べた。ヨシュアはその手を取って立ち上がる。ジョセフはそのまま彼の手を引いて歩きたいと思った。その瞬間、あの色面の絵画がジョセフの前に現れた。分かっている。それは願ってはならないことだと。ジョセフは何事もない顔で全てをポケットへしまい込んだ。
 ふたりは公園脇の地下鉄までいつものように歩いた。その間ヨシュアは大学の話や家族の話を少しジョセフに聞かせた。ヨシュアには両親も兄弟もいて、今は親元を離れてこのニューヨークで一人暮らしをしている。そしてクリスマスには家に帰るらしい。それを聞いてジョセフはほっと安心するのだった。

「今日はありがとうございました。楽しかったです」
「こんなおじさんと公園を散歩だなんて、退屈じゃなかった?」
「とんでもない!それにまだ全然おじさんじゃないですよ」
 ヨシュアはそう言いながら切符を取り出した。
「またコーヒー、飲みに来てくださいね」
 その言葉とは裏腹にヨシュアは見送る人の目をしていた。
「もちろん。必ず行くよ。明日にだって行くさ。だから……」
 そんな顔はするな。ジョセフはヨシュアの頬にそっと触れた。その指先はどうしようもなく震えていた。

 
 
 
 
 
 
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