Episode 8. Espresso – 02/27/1959

 
 
 
 

「すみません、この辺で金髪の若い男性を見ませんでしたか? 顔に痣のある」
「ああん? 金髪なんてそこら中にいるだろ?」
「すみません、この辺で顔に痣のある金髪の男性を見ませんでしたか? 二十歳くらいの 」
「うるせーな! 知らねーよ! なんだァ、そいつ、迷子か?」
 まともに取り合おうとしない心無い返事ばかりだったが、それでもジョセフはヨシュアの自宅近くで無心の聞き込みを始めた。吐く息がはっきりと見えるほど凍てつく夜の喧噪を前に、ジョセフはただひたすら必死だった。

「すみません、金髪の若い男性を見ませんでしたか? このへんに、痣があるんです」

 ―――――金髪で、顔に痣のある男

 その言葉を繰り返す度にそんな男は始めから存在しなかったんじゃないのか、実は全部夢だったんじゃないか、そんな風に思えてくるくらい人々の間にヨシュアの存在は見つからなかった。それでもジョセフはヨシュアの手がかりを探し続けた。

「金髪のにーちゃん探してんの?」

 ジョセフの言葉を耳に挟んだと思われる男が、面白そうなものを見るような目で絡んでくる。
「そいつならさっき、川の方に行ったぜぇ? 兄ちゃん、なんか悪いことでもしたんかい? だいぶ物騒な雰囲気だったな」
 その言葉に、ジョセフの心はピンポン玉のように弾けた。
「本当か!? 川の方だな!?」
「おい!」
 ジョセフは話の途中にも関わらず一目散に走り出した。ヨシュアが何かの事件に巻き込まれているような、嫌な予感がして仕方なかったからだ。彼の証言はヨシュアのことを語っていると直感した。一筋の希望を胸に、ジョセフは弾丸のようにハドソン川へ向かった。
 グリニッチビレッジから二、三分ほど走ると、ハドソン川の埠頭が見えてくる。雪夜の埠頭など寒いだけの何もない場所だ。普通なら誰も近寄らない場所にも関わらず、奇妙な人影がいくつも集まっていた。

「ヨシュア!!!」

 ジョセフが獣のように叫ぶと、その人影が一斉に振り向いた。そして鉄砲玉にでも撃たれたかのように、わっと散り散りに逃げて行く。
「なんなんだ!?」
 その人影の中に以前バーで絡んできた男がいた。きっとあいつが何かしたに違いなかったが、今はとにかくヨシュアを見つけるのが先決だ。誰もいなくなった川の埠頭でジョセフは辺りを見渡す。しかしヨシュアの姿はない。
「どこだ? あいつらは何をしていた?」
 凍てつく風が吹きすさぶ。川には氷に覆われた船が浮かんでいるだけだった。風のせいだろうか、都会のざわめきが随分遠くに聞こえる。
「まさか……」
 ジョセフはおそるおそる川を覗きこんだ。すると、水面に見覚えのある金髪がゆらゆらと浮かんでいた。
「ヨシュア!!!?」
 ジョセフは頭の中が真っ白になった。すかさずコートを脱ぎ、川へ飛び込む。着水するタイミングで波紋の呼吸に集中し、水面へ着地した。そのまま水中からヨシュアを引き上げる。しかしヨシュアの身体は川の水をたっぷりと吸い鉛のように重たかった。その重さに耐えきれずジョセフの膝はずぶりと水中に沈み込んだ。
「……っ! 冷てぇ…… 冷てぇよぉ……」
 ニューヨークは冬になると噴水や池が凍りつく。ハドソン川も例外ではなく、流れているから凍らないだけでそれは氷のように冷たかった。川の流れは速い。流れる水面に立つのは熟練の波紋使いでも難しい。ヴェネチアの海とは比べものにならない荒れた冷たさに思わず悲鳴が出る。呼吸が一瞬にして乱れ、身体はあっけなく胸のあたりまで沈み、流された。
「くっそぉ、呼吸を、呼吸を整えないと……」
 遠くにはニューヨーク市のライトがきらめいている。それは竜宮城か何かのような幻想の都にしか見えなかった。雪が舞い散り、夜空には星が輝き、全てがどうしようもなく遠かった。
 ジョセフは吐きそうなほどの恐怖に咆哮した。沈んでいく恐怖と流される恐怖に耐えながら、波紋の呼吸に集中する。波紋の力に全てを託し、全身を振り絞って一気に水中から跳躍した。
「…はぁ、はぁ…… ふぅ…… フゥ……」
 ジョセフの足先はなんとか水面に着地する。濡れた身体は氷点下の空気に晒され気が遠くなりそうなほどに寒かった。何度も呼吸を繰り返し、全身の温度を上げていく。ジョセフは呼吸を整え、水面にヨシュアの身体をなんとか引き上げた。
「ヨシュア!ヨシュア……!おい!」
 必死で叫ぶ。しかしヨシュアは泥人形のように動かない。
「頼む…… 頼むから、死ぬな……! お願いだから……」
 ジョセフは再度呼吸に集中し、もう一度高く跳躍する。水面から埠頭になんとか飛び移ることに成功し、ジョセフはヨシュアをようやく地面に下した。
「ヨシュア!! ヨシュア! 起きろ! ヨシュア!」
 何度も声をかけ頬を叩いてみるが彼は全く目を覚まさない。ジョセフはどうしようもない恐怖に押しつぶされそうだった。死体よりも冷たくなったヨシュアの身体に耐えられず、脱ぎ捨てたコートでヨシュアをくるんだ。辺りを見渡しても人影ひとつない。公衆電話も見当たらない。ジョセフは気が狂いそうなほどの恐怖に唇を噛み締めた。
 太陽が消えてなくなったような冷たい闇が世界を覆う。救急車も警察も街の人間の誰も彼もに見放され、目の前にいるはずの何千人もの人間たちに気の遠くなるような絶望を抱いた。ヨシュアの身体を抱き上げる。そして救いのない街へ、全速力で走った。波紋の呼吸を繰り返し、抱える身体に生み出せる限りの生命エネルギーを全て送り、ヨシュアを温めながら走った。

 この世界にはもう、自分とヨシュアしかいない。誰もいない。ジョセフは何も見出すものがない孤独の中を全力で走り抜けた。
 繁華街の雑踏と思われる何かは、よく分からないノイズと、よく分からない色でただひたすら溢れ返っている。それはジョセフになんの意味も与えず、ただひたすら無意味に現象している世界でしかなかった。それは驚くほど静かでうるさく、カラフルで無色だった。

 全身がぐちゃぐちゃに濡れて身体が引きちぎれそうなほど重い。向かい来る風が氷のように皮膚を切り裂いて痛い。まるでそこは何もない雪山のようだった。ジョセフはサンモリッツの雪道を走っていた。腕の中にはシーザーがいた。血まみれで、生きているのか死んでいるのか分からない。いやきっと生きている。そう、シーザーはまだ生きている。そう思いながら彼を抱えて走った。それはジョセフが何度も描いた夢だった。でもそれが夢だと分かると涙が止めどなく溢れ、ジョセフの心を孤独の淵に縛りつける。
 何度も「もしも」「もしも」と描いた夢が、今ここにあるような気がした。そしてその夢が紛れもなく現実に過ぎないと理解すると、また気が遠くなるほど涙が零れるのだった。

 ヨシュアのアパートの扉を蹴り上げ、階段を駆け上がる。濡れた男の身体は今のジョセフには重た過ぎて、太腿がはちきれそうだった。それでもジョセフは全身の力を振り絞って駆け上がった。ヨシュアの部屋へ飛び込む。そのまま雪崩れ込むようにバスルームのシャワーを捻った。
「ヨシュア、ヨシュア…… 死ぬな、お願いだから……」
 ジョセフはヨシュアを抱きかかえたままシャワーの下にしゃがみ込んだ。熱湯が二人の身体を濡らす。全身に染み渡る湯水に波紋を流しヨシュアの身体を懸命に温めた。どれくらいあの冷たい水の中にいたのだろうか。彼は意識を失ってから川に投げられたのか、それとも水に入ってから意識を失ったのだろうか。ジョセフは怒りと悲しみに震えた。
「ヨシュア…… ヨシュア……!」
 驚くほど白い顔をしたヨシュアを見下ろす。おそるおそる彼の口元に指を押し当ててみる。指先にほんの僅かだか波紋の呼吸を感じた。

「まだ、生きてる……」

 涙が溢れた。まだ生きている。それがどんなに素晴らしいことか。生きていること、それが唯一の救いだった。しかしあまりにも彼の呼吸は儚かった。ジョセフはヨシュアの身体に巻きつけていたコートやセーターなどを剥がしとり、冷たく濡れていた衣服を取り去った。ジョセフはヨシュアを再び抱きしめる。彼の身体の表面は湯水と波紋の熱で少しずつだが温かくなっていった。
「もっと身体を…… 身体の中を温めないと……」
 ジョセフは頭を捻り、昔修行で教わったことを思い出そうとする。しかし相手の傷を癒すような方法はあまり思い出せなかった。あの時は相手を倒すことを入念に学んでいたからだ。しかしシーザーは相手をコントロールしたり、癒したりする技を使いこなしていた。
「ちゃんと修行しておけば良かった……」
 ジョセフは唇を噛んだ。身体の芯がなかなか温まらないヨシュアを見下ろしながら考える。意識があれば何か温かいものを口にすればいい。身体の中に温かいものを流し込まなくては。
「いちか、ばちかだ。ごめん、ヨシュア……」
 ジョセフは蒼白としているヨシュアの唇にそっと唇を合わせた。固くなった唇を押し開けて舌を差し込む。口の中は恐ろしいほど冷たかった。ジョセフは氷のように冷たいヨシュアの舌に舌を絡めて波紋を流した。舌先から彼の身体の中へ、波紋が流れて行く。ジョセフは自分の中にある生命エネルギーをたっぷりと流し込んだ。
 何度か波紋の呼吸を繰り返すと、徐々にヨシュアの唇が熱を取り戻していくのを感じた。氷のような舌先は段々と人間らしい温かな感触に溶けていく。
「ヨシュア…… 頑張れ。きっと大丈夫だ。だから、お願いだから…… 目を開けてくれ……」
 ジョセフは貪るように何度も唇を合わせた。自分でも、もう何をしているのかよく分からなかった。ただひたすらヨシュアの唇を奪い、舌を絡め、波紋を流し続けた。

「……ヨシュア、ヨシュア……」

 呼吸の合間に何度も名を呼ぶ。過ぎていく時間を逃すまいと重ねた唇を離さなかった。段々とヨシュアの呼吸がジョセフの呼吸に溶け合っていく。僅かにヨシュアの中に新しい波紋が煌めくのを感じだ。

「…………ヨシュア?」

「…………ジョ……ジョ……」

 腕の中が僅かに動いた。

「……ジョ、ジョ……?」

 触れていた唇が、優しく鼓動する。それは夢以上に夢のような現実だった。
 ヨシュアが目覚める。間違いなく、彼は息をして、ジョセフの名を呼んだ。

「ヨシュア……!」

 ジョセフはヨシュアの身体をこの上ない幸福で抱きしめた。

「ああ、ヨシュア、ヨシュア……!」

 涙がとめどなく溢れ、ジョセフは子どものように大声を出して泣いた。

 
 
 
 
 
 
 

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 意識を取り戻したヨシュアを十分に温めた後、彼をベッドに運んだ。体温はやや低いが平熱近くまで戻ってきており、ジョセフはようやく心の底から安堵した。
 もしあのとき地下鉄が動いていたら、もし波紋の力が使えなかったら。もしも、もしも、と思うだけで身体の底から叫びたくなるほどの恐怖が押し寄せた。しかし今、ヨシュアは間違いなくここにいる。ここにいて、ちゃんと呼吸をしている。それだけで祈りたくなるほど幸せだった。

「ジョースターさん……」
 ヨシュアが消え入りそうな声で名を呼ぶので、ジョセフはすぐさま傍に歩み寄った。
「俺、絶対死んだと思った…… もう絶対助からないって。俺、本当に生きてるの? 夢じゃない?」
 まだ不安の色を浮かべるヨシュアに、ジョセフは心の底からの笑顔を贈った。
「夢じゃない。俺はここにいるだろ?」
 ヨシュアの頭を優しく撫でる。すると、ヨシュアは確かめるようにジョセフの指先にそっと触れた。そしてようやく安心したのか、生まれて初めて表情を作ったみたいに、不器用に微笑んだ。
「良かった……」
 ヨシュアは今にも泣きそうな顔でジョセフを見つめた。
「……今日はもう、休んだ方がいい」
「帰り、ますか……?」
「いや、ここにいるよ。もうヨシュアを一人にしたくない」
 ヨシュアはほっとしたような顔をして、ようやく目蓋を閉じた。

 ヨシュアが寝息を立てているのを見計らって、ジョセフは公衆電話を探しに外へ出かけた。電話はヨシュアの自宅近くの大通りですぐに見つかった。ヨシュアはいつもこの場所で電話をかけていたのだろうか? ジョセフは小銭を入れ、ダイヤルを回す。不明瞭なベルの音が数回鳴ったあと、聞き慣れた声が耳に届いた。
「もしもし? ジョースターです」
「もしもし? スージー? 俺だ、ジョセフだ」
「あら、ジョジョ。どうしたの? シーザーに会えた?」
「え!?」
「だって今日は命日でしょ? それも20周年よ!」
 スージーは何の前置きもなく唐突に切り出した。
「20周年って、なんかの記念日みたいだな」
「そう、記念日ね!」
 彼女の弾んだ調子の声は、ジョセフの目の前を不思議と明るくさせた。
「うん。そうだな……。それに、シーザーに会えたかもしれない」
「良かったじゃない」 
「驚かないんだな。俺達、相当おかしな話をしているぞ」
「全然驚かないわよ。だってジョジョって、隕石に乗って大気圏から戻ってきたでしょう? 今さら幽霊の一人や二人現れても驚かないわ。それにシーザーだったら尚更ね」
 素直な子どものようにスージーは無邪気な声で笑っている。その声は真実を包み込むみたいに、ジョセフの心を優しく抱きしめた。ジョセフは深淵にずっと抱えこんでいた思いが、泡粒のようにシュワシュワと溶けて空に上っていくのを感じた。

「……スージー、いつもありがとな」

「気が済んだら帰ってきて…… 待ってるから」

 ジョセフは静かに受話器を置いた。すると、どうしようもなく涙がポロポロと零れてきた。目の前がぼんやりと温かく滲み、それはずっと忘れていた懐かしい涙だった。今日はもう涙がいくらあっても足りない。何かがぐしゃぐしゃに崩れたみたいに、ジョセフの目蓋から涙が溢れ続けた。ずっと迷子だった子どもが親を見つけたときのように、ジョセフの周りには一切の不幸がないような気がした。
 ニューヨークの街がジョセフをそっと眺めている。誰も彼の涙を止めることはできなかった。
 ジョセフはあまりにも幸せな自分に、静かな涙を流し続けた。

 
 
 
 
 
 
 
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 部屋に戻るとヨシュアは穏やかな寝息を立てていた。たとえ波紋を流したとはいえ、あれだけ冷たい水に浸かっていたのだ。相当な疲労があってもおかしくない。ジョセフはヨシュアが眠るベッドのすぐ傍に椅子を運び、そこに腰を下した。
 二人分の濡れた衣服から滴る水の音が、深まる夜にぽたぽたと染み込んでいく。ヨシュアから借りた部屋着は少し小さくて、足首や手首からじんわりとした寒さが忍び寄ってくる。ジョセフは身体を縮こまらせて呼吸に集中した。
 ぽたぽたと時間の針を進める音と共に、街灯りがゆっくりと薄れていく。しんしんと降りしきる雪が部屋を静寂に包み、ジョセフの意識は徐々に眠りの世界へ誘われていった。久しぶりに波紋をたくさん練って疲れたのかもしれない。昔修行をしていたときのように、ジョセフの身体は気持ち良い眠りへと落ちて行った。
 気がつくとジョセフは波打ち際にいた。それはヴェネチアの海のように穏やかな夜の海だった。夜の海にも関わらずそこはぼんやりと明るくて、波は南の島みたいに静かだった。砂浜はまるで星のようにキラキラと輝いている。そんな渚の周りに、たくさんの白い光の粒たちがふわふわと集まっていて、それは世界のあちこちに散らばっていた家族がクリスマスの晩に集まるみたいに、何かの宴をしているかのようだった。

「こんなに分かりやすいのに、まだ分からないのかジョジョ?」

 懐かしい声が聞こえてくる。

「俺を忘れようだなんて、100年早いんだよスカタン!」

「シーザー? シーザーなのか?」

 ジョセフが呼びかけると、身体の周りをふわふわした白いものたちが舞い、波打ち際に立つ誰かに向かって集まって行くのが見えた。あれらは世界中に散ったシーザーの魂なのだろうか。それは溶け合うように曖昧に消えていった。

「シーザー、お前、なんでこんなところにいるんだ」

 ジョセフはどこに向かって話しかければいいのか分からなくて、ぼんやりと海に向かって語りかけた。しかしその言葉に返事はなかった。

「なぁシーザー、出てきてくれよ。俺、お前に会いたい」

 その言葉は宙を漂って、特に意味のない音となって消えていく。ここにあるものは段々と意味を剥奪され溶け合って行く、そんな風に思わせた。そしてそこら中には穏やかな波紋エネルギーが満ちていて、ジョセフの肌を優しく撫でているようだった。

 ああ、シーザーは、そこら中にいたんだな。
 世界のあちこちに。ジョセフはそう思った。

 少しずつ渚の景色がぼんやりとしてくる。同時にぽたぽたと何かが歩くような音が聞こえた。ジョセフはまだそこから離れたくないと思った。

「シーザー、俺、ここにいたい」

「それはダメだ」

 その言葉に、シーザーは鋭く答えた。

「でもすぐ会えるさ」

「本当に?」

「本当さ」

 お節介シーザーは、たぶんきっと微笑んでいた。

 
 
 

 ジョセフはふんわりと目を覚ました。肩にはいつの間にかブランケットが掛けられていた。

「あ、起きちゃいましたか?」
 その声はキッチンの方から聞こえてくる。声の主はキッチンで白いふわふわしたものに包まれていた。
「……シーザー?」
 その男はにっこりと微笑んだ。
「エスプレッソを淹れてるんですけど、飲みます?」
 ジョセフは何度も瞬きをして白いものに目を凝らす。その白いふわふわはエスプレッソマシーンの蒸気だった。ジョセフは何も考えず「飲む」と答えた。
「こんな時間にエスプレッソなんて飲んだら、寝れなくなっちゃいますね」
 二人を見守る時計の針は、規則正しく午前3時を指していた。
「ヨシュア、身体はもう大丈夫なのか? まだ寝てた方が……」
 ヨシュアはその言葉に微笑みながら、デミタスカップを二つカウンターテーブルに置いた。カップの底に少しだけ淹れられたそれは、芳醇な豆の香りをジョセフに届けた。ジョセフは吸い込まれるようにそれを口に運ぶ。一口で口の中いっぱいに信じられないほどの苦みが押しよせた。

「ねぇ、ヨシュア」
 優雅な手つきで一服するヨシュアをじっと見つめる。
「……ミルク、淹れちゃだめ?」
 ジョセフは口に出した直後に恥ずかしくなり、思わず目を泳がせた。
「仕方ないなぁ……」
 ヨシュアは溜め息混じりにホットミルクをジョセフのカップに注いだ。その横顔は見惑うほどにシーザーだった。まるでシーザーが生き返ったみたいで、ジョセフは思わずじっと見つめずにはいられなかった。
 ヨシュアと目が合う。彼は優しく微笑んだかと思うとジョセフの髪を撫でた。ジョセフは魔物に取りつかれたみたいにその美しい表情から目が離せなかった。すると、ヨシュアの瞳が柔らかくほどけ、目蓋が閉ざされたかと思うと、ほんのりと唇が押し当てられた。

「なんでそんな顔するんですか」
 ジョセフはポカンと口を開けたままヨシュアを見つめた。
「さっきキスしてたくせに」
「あ、あれは……」
「あれは人口呼吸だった、とでも言うんですか?」
 ジョセフが口ごもると、ヨシュアは穏やかに笑った。
「そんな嘘、もうつかなくていいですよ」

 ジョセフを見つめるヨシュアの瞳は、ジョセフ以上にジョセフを雄弁に語っているようだった。たぶんヨシュアはもう全部分かっている。ジョセフは吸い寄せられるように、自分を待つ美しい唇にそっと口付けた。

「……関係ないだなんて、酷いこと言ってすまなかった」
 心にないことを言って、怒らせて、別れて、あんなに後悔したのに、また同じことをしようとした。ジョセフはひざまずくような気持ちでヨシュアを見つめた。それは告白にも懺悔にも似た不思議な気持ちだった。
「……俺とシーザーは、恋仲だったんだ。もう、分かってると思うけど……」
 ヨシュアは何も言わず、ただジョセフの言葉を聞いていた。
「恋人だったかは…… 分からない。何も言わなかったから。全部俺の勘違いだったかもしれない。もう聞くことはできないから、知らない」
 ジョセフは静かに涙を流した。なぜ流れたのかジョセフ自身も理解できないくらい自然と頬を伝っていた。ヨシュアはそっとジョセフの涙にキスを落とした。

「シーザーさんは、大好きだったと思いますよ」
 ヨシュアはまたジョセフの髪を柔らかく撫でた。

「だって、そうじゃなきゃ、こんなに好きになるわけないんです……」
 ヨシュアの言葉には少しの迷いもなかった。

「俺、なんでこんなに好きなのか、考えても全然分からないんです。でも好きなんです。ジョースターさんが、好きなんです」

 一言でいい。ヨシュアみたいに素直に伝えれば良かった。
 俺はシーザーを愛していた。大好きだった。気が狂いそうなくらい。
 愛していた。ずっと一緒にいたかった。そう伝えたかったんだ。

「お、い。ジョジョ……」
 お節介を焼く男の目をして、ヨシュアはジョセフを見つめていた。
「言いたいことがあるなら、はっきり言え、スカタン……」
 ヨシュアは精一杯のシーザーの顔を浮かべていた。そこからは溢れんばかりの愛おしさがあふれていて、ジョセフは思わず抱きしめた。

 
「愛してる」
 

「ずっと、愛してる」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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